2015-12-19

2015年12月19日

さあて、今年一番大変だったことは何かな、と考えてみると、どれもこれも喉元過ぎれば、という気がしてきます。
なかなか喉元を通り過ぎなかったもの。それは歌だったかもしれません。

私は人前でひとりで歌うことにひどいコンプレックスがあり、それを避けて避けて生きてきました。
それは小さい頃のちょっとした出来事から始まりました。

小学校2年生のある日のホームルームの時間、担任の先生が、「やこちゃん、皆んなの前でお歌を歌ってちょうだい」。
多分、先生は私の歌を好きでいてくれたのです。

とても恥ずかしがり屋だった私でしたが、先生の言うことを聞かなければならないと、トコトコと前に出て行きました。
皆んなの前で歌を歌うということがどういうことか分からなかった私は、唱歌を大きな声で歌い始めました。テレビで見る歌手を思い浮かべ、それこそオペラ風に声を響かせて歌ってしまいました。

気がついてみたら、ドーッと爆笑の渦に包まれていました。男の子には指をさされて笑われました。
そりゃあそうですよね。小学2年生の女の子がそんな風に歌ったら滑稽なだけです。
私は自分の席に戻って、机に突っ伏したまま顔を上げられなくなりました。

この日以来、私は人前でひとりで歌えなくなってしまいました。

箏に唄はつきものですし、いつまでも、そんなことにこだわっているなんて、あまりにも自分がちっぽけに思えてきて、今年はそれを乗り越えるべく、10分以上ひとりで唄いながら演奏する曲をプログラムに入れてしまいました。

舞台に立つことが怖いことは予め想定内でしたが、昔日のトラウマの及ぼす恐ろしさは、思ったよりキツいものでした。
練習している時も、優しいお客さまの顔を思い浮かべ、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせるものの、身体の芯が定まらず、コンサート半月前からは細かい震えが止まらないようでした。
挙げ句の果てには、気管支を悪くし、練習もままならない事態になってしまいました。
よっぽど身体は拒否していたのでしょうね。

迎えたコンサート当日、意を決して、どうなってもそれが今の自分、と精一杯心をこめて唄いました。
本番中もたまに自我が戸を叩いてくる、ということをトラウマはもたらすのだと学びました。
しかし、歌うのが好きだった頃の自分をも思い出させてくれました。

「やすねえの歌、好きだな」と言ってくれた友人。
小学2年生の頃よりマシになったかな。

2015-12-06

2015年12月6日

姉夫婦が主催しているフォレストヒーリングに行ってきました。
八王子の長沼公園は、新宿から30分ほどの駅近の公園ですが、一歩踏み入れればそこは森。山の中の奥深い森のようなものが突然ぽんと現れます。

一言で言えば森林浴なのですが、これがなかなか愛のこもった企画で、皆さん本業は別にありながら、長沼公園のガイドの松村さん、姉含めた森林医学認定医、義兄が理事をしている木暮人倶楽部の面々がサポートしてくださり、フォレストヒーリングは進んでいきます。

私は無理をすることが何より大好物なのですが、これに限っては、無理をすると身体への健康効果が半減するらしく、森の体内時計に合わせた時間の流れに身を任せて時を過ごします。
普段とは違うものに身体は一瞬戸惑うようですが、草に寝転んで目を閉じると、「あら、そのモードね」と身体が笑って応えます。

ゆったりすると言えばそうでもあるのですが、ささやくような葉の擦れる音や、小さな実の膨らみ方の違いまでが気になってくるので、ある意味、とても忙しくしているのだとも言えるのかもしれません。
周りを見回すと、寒さから葉が半分落ちていて、幹がその姿を露わにしています。様々にうねりつつ、思い思いの姿で立っています。

しばらく歩くとヨガの時間。先生のキューちゃんの呼吸や体勢の指示に従って、「山のポーズ」を取ります。
動きとしては、目を閉じて立つ、という非常にシンプルなものですが、細かく細かく震えながら立っている自分の動きが気になります。
おそらく、心を鎮めて天と地を感じつつどっしりと立つのがこのポーズの目的なのですが、その前提として、こんなにも細かく細かくバランスをとらなければならないなんて……。
我ながら足にうまい具合に力をいれているものです。
今まで何十年も当たり前にやっていることですが、身体は黙々と細かく細かくバランスを取っていてくれたのでした。

目を開けると、木々のうねった幹がまた目に入ってきました。

そうだったんですね。
木も、こうやって立っていたのでした。
風をよけ、日ざしを浴び、養分に近づくために、細かく細かくバランスを取りながら立ち続けていて、その目に見えない動きの歴史を、うねる幹という形で目の前に現してくれていたのでした。

どっしりとしたものを支える細かい細かいバランス。
動かないものを支える動き。
それは身体の実感として私に沁みこみました。
そして、その動きを目に焼きつけました。

帰ってきて二十五絃箏を弾いたら、やっと、立ち方ならぬ、座り方が分かったのでありました。



2015-10-09

2015年10月9日

年に一回のソロコンサート、今年も沢山のお客さまに足を運んで頂き、温かな空気の中、どうにか無事に終えることが出来ました。

筋肉痛が来るのが遅い私は数日経って、立っているのすら辛くなってきましたが、その痛みのおかげで色々なものが紛れているのも感じます。

今回もやりたいことを考えているうちに、一度に2つの箏を使わないと弾けない曲、唄つきの曲、微分音を数多く使う曲、詩を朗読する曲、相変わらず難しい伊福部先生の曲、そして自作2曲と、かなり幅広いものとなってしまいました。

ギリギリまで時間をかけて曲を作りつつも、 別の曲の練習をするために次の楽器を出しながら発声練習をし、準備が出来たらその曲を練習し、手が痛くなったら曲のイメージについて考えこみ……。

考えるべきことがありすぎて、そしてどれも満足にいかない現実に身体の芯が震えてきて、まっすぐ座ることすら困難です。
どうしていつも出来ないくせにやろうとしちゃうんだろう……。

お客さまが少しでも僅かでも楽しめる瞬間がありますように、という悲痛な祈りの中でコンサートが始まりました。

どの1音も本当に真剣に聴いてくださるお客さま。その気を感じると、どの1音もおろそかになんかする気も起こりません。代わりに、こうしよう、ああしようと思っていたことは全てふっとび、本当に素朴に次の1音を弾くということしか出来なくなりました。

結局は、普段の生き方が出たとしか言いようがありません。
難しいところがうまくいかなかったというような単純なことではなく、普段の自分の甘さがあるところはそのままに、むしろその甘さ厳しさに比例して、どの1音も言い訳しようもない今の私の音となりました。

これをここまで実感したのは初めてで、それは、さらけ出さざるを得なくなった、お客さまの誠実な空気と、等身大の私を応援してくれるお手伝いをしてくれた周りの人たちのおかげなのでしょう。

生き方をさらけ出したといっても、その素朴な次の1音とは、私が練習していた音の種類と同じではありませんでした。こんな音があるのだという初めての出会いもありました。
それらはきっとあの場で皆さまに引き出して頂いた音なのでしょう。それと同時に皆さまの音そのものでもあったなら、なんとも嬉しいことです。

まだ頭も身体もぐるぐるしていますが、皆さまの思いやりに溢れた言葉に、丁寧に生きていかなければという思いが湧いてきています。
感謝の気持ちしかありません。
いつか恩返し出来ますように……。
本当にありがとうございました。

2015-07-31

2015年7月31日

少し前になりましたが、「板橋文夫・梅津和時ジャズコンサート」に行ってきました。

会場は鎌倉の生涯学習センターのホール。多くの人々がたむろする日常そのものといった空間を抜けたその先にどうにか見つけたジャズコンサートのチラシ。
それが鎌倉らしい、というべきか、主催の鎌倉はなし会の秋山真志さんのしかけというべきか、とにかくある種の特別感が湧いてきます。

板橋文夫さんは、私のとても好きなピアニストです。人間の生き方としても背中を見せてもらっている気がします。
ジャズピアニストという枠組みを、マメのある太い指でぐにゃりと押し広げて、「板橋文夫」そのもので生き、演奏しているという感じと言ったらいいでしょうか。

初めて舞台で板橋さんの演奏を聴いた時、酔いどれのような風貌と、その音楽の繊細さと真面目さとが共存していることが妙に面白くて、そして、その音が次第にうねりつつ自由に形を変えていくことに感激したのを覚えています。

ピアノから出てくる音は、自分の心に一枚もの衣を纏わないもので、おそらく人生の中で多くのものと向き合いながら素手で形づくってきたような、無骨さと細やかさを兼ね備えた温かみを感じさせるものです。

板橋さんの音を聴くと、自分はまだ十二単ぐらい着ているような気がしてきます。それらを一枚でも脱ぎ捨てれば、音も飛び跳ね始めるのかしら……

今回は、サックスの第一人者として活躍する梅津さんとのコンサートでした。会場の趣きだけではなく、いつも夜のライブハウスを賑わす客層とは全く違います。まさしく老若男女。

板橋さんは板橋さんのままに激しい中に優しさが溢れ、梅津さんはやはり梅津さんらしく皆の気持ちを歌心で引き上げつつ、ひとつにしていきます。

終わってから、会場から出て来る人々は、友達がいれば笑い合い、1人でいれば心の中で喜びを噛み締めているような顔でした。
1人1人が、人間として、きちんと向き合った後の満足のようなものを感じているようでした。

音楽はやっぱり人間そのものなんですよね。
なにより人間としてどうありたいかを感じさせてくれるいいコンサートでした。







2015-06-20

2015年6月20日

一人の人の中には多くの人が住んでいて、「怖がり」と「怒りん坊」もその一員ですが、このどちらの要素が強いかによって、大きく生き方が変わってくるのかなと最近思っています。

先日小さな犬をとっても怖がる友人をなんとなく見ていたら、犬だけではなく、周りに常に目をやり、なにごとも悪いことが起きないように注意を払っているのが分かります。
どうやら犬が嫌いなだけではなく、他にも怖いものが多そうです。

あれ、と思って、周りを見回してみたら、恐怖感が強そうだなと思う人は、やはり、悪いことが起こらないように、人の気を害さないようにということから行動がかなり決まってしまっているように見えます。

かく言う私も、今は荒療治で治りましたが、昔はひどく犬を怖がったものです。
幼い頃の記憶は全て恐怖や不安から始まっています。

気を遣い過ぎ、などとよく言われましたが、今考えると、優しくて気を遣う、というより、不安を引き起こすことが起こらないように気を使っていた、という方が正しいのかもしれません。
その証拠か、犬が怖くなくなり、物事への恐怖心が少し減ってきたら、「もっと気を遣ったら」と言われるまでになってきました。

とは言っても、この恐怖や不安の感情は乗り越えようとしてもなかなか難しいものです。今でも大きく心を動かされるのはその部分です。
その不快な感情が起こる場面を作らないようにとの思いで、かなりの行動が規定されてしまって、物事がまっすぐ進まないのを感じます。その不自由さから逃れたいとジタバタ手足を動かしているものの、縄がますます強く締めつけてきて、迷走は続きます。

宗教が人間の持つ恐怖の感情と切り離せないことから考えてみても、誰しもその感情を少なからず持っているのでしょうね。
しかし、周りをさらによく見てみると、恐怖以上に、ある感情に振り回されている人も多いように思います。
仏教でも三毒の一つに数えられている瞋(しん)、つまり怒りです。

怒りは、恐怖とは違い、本人にとってそこまで不快な感情ではないように思えます。ですから、怒りに任せることを良しとする人もいるのでしょう。
ただ、怒りをひとたび露わにしてしまうと、そのあとの社会生活に大きく影響を与えてしまうため、それを恐れる人は、怒りを抑えるために苦心することになるのだと思います。
瞬間湧き出る気持ちとしては、怒りは恐怖よりも風速が強いとも言え、それを抑えるとなったら、ものすごくエネルギーを要するようです。

「怖がり」から見ると自由なように見える「怒りん坊」が、自分ではいつも我慢していると思ってストレスを抱えているのを、ハタから見て不思議に思うことがあります。
でも実際は怒りを抑えることの方が大変なのかもしれませんね。

「怖がり」と「怒りん坊」が9対1位の極端な私には、ある程度想像でしかモノが言えませんが、結局、「怒りん坊」も、その怒りが湧き出てこない状況を選ぶため、かなり行動が決まってきているように見えます。

これは余談ですが、気のせいか、「怒りん坊」は「怖がり」を身近に置くことが多いように思います。「怖がり」は「怒りん坊」が怒らないような状況を作るのが得意なんでしょうね。そして、「怖がり」にとっては、「怒りん坊」はどこか憧れの存在です。
しかし、「怒りん坊」は「怖がり」に潜在的にに恐怖を与え続けるものです。「怖がり」は最終的に「怒りん坊」から逃れる道を探すことになってしまうようです。

そういう意味では、「怒りん坊」の方が少し切ないことも多いのかもしれません。

人はこんなに単純なものではありませんが、でも、意外とこの2つの要素のどちらが強いかで、その人のことがある程度分かるような気がするのは私だけでしょうか。

人に会ったとき、血液型を聞くよりは、「怖がり」型か「怒りん坊」型かを聞いた方か色んなことが占えるかもしれない、なんて思っています。


2015-05-26

2015年5月26日

あれ?
なんかお茶が美味しくなくなっている…

小学生の頃だったでしょうか。
読んでいた三浦綾子さんの小説の中で、絶妙に美味しいお茶を淹れる女の人が出てきました。
なぜかそれに心惹かれ、お茶の価値など分からぬままに、「いつか美味しいお茶を淹れられるようになりたい」と強く願いました。

お茶といっても、茶道のお茶ではなく、普段に飲むお茶です。
ですから、形式にはこだわらないのですが、それだけに美味しさの基準もはっきりしません。
とにかく「あ、美味しい」と感じられればいいということです。

私は今まで、二度ほど、お茶を飲んで感動したことがあります。

同じ人間でも、その日の体調や気分、天候などで、感じ方や好みまでもが変わってきます。
相手のことをあれこれ想像しながら日々試行錯誤するのですが、結局、今まで一回も満足いくものになったことはありません。

とは言え、あがき続けているだけに、少しずつ良くなってきていました。
ところが、先日、ハッと気づいたのです。

お茶が美味しくなくなっている…

どうしてだろう?
いつからだろう?
だいたいにして、なんでお茶が美味しくなくなっていることに気がつかなかったんだろう?

しばらく記憶を辿り、アッと思い当たることがありました。
一か月ほど前のことでした。皆はどういうお茶の淹れ方をしているのだろうと思って、検索しまくったのです。
検索すると、出てくる出てくる。お茶のお店や、茶道家などの、美味しいお茶の淹れ方が沢山出てきました。

なるほどなるほど、と思いながら、グラム単位でお茶っ葉を計ってみたり、温度計を突っ込んだり、それに書いてある、正しい量を目や指で覚え、それを再現すべくあれこれとやってみました。
今までのやり方にそれを付け加えて、前より美味しいお茶を淹れるはずだったのです。

正直言ってこの実験のことさえ忘れてしまっていたのですが、よく考えてみると、あの日以来、お茶を真剣に淹れなくなったようです。お茶を淹れる時に、相手の顔色やその日の空模様などを考えることが減っていたのでした。
完全に無意識なのですが、おそらく、「正しい」と思われるようなものをインプットしてしまったがゆえに、不安を持ってあちこちを見回す神経の鋭敏さが失われてしまったようなのです。

検索をすることの恐さ。
教わることの恐ろしさ。
自分では気がつかないところで、大きな力を奪われています。

それに気がついた時、なんの感動も生まないそのお茶を前にしながら、しばし呆然としてしまいました。

お茶が道としてある意味もうっすら感じつつ…






2015-05-08

2015年5月8日

かげろひてコンサート、無事に終わりました。
川合牧人さんの展示会のひとコマでしたが、50人以上の方々に会場を彩って頂き、賑やかでありつつ静かな一体感を味わえるといった得難い時間となりました。

今回のコンサートのための自作曲「かげろひて」を含め四曲を演奏することにしたのですが、川合さんからの「馴染みやすい曲などにする必要はないので、とにかく佐藤さんがふさわしいと思ったものを」との言葉があり、考えていたら結局大曲も選んでしまっていたのでした。

と、やる気はマンマンだったのですが、考えてみたらリハーサルが一切出来ない状況です。直前の直前まで展示物だけの世界であり、寸前に舞台を設置してヨーイドンです。
一つ一つ不安要素を消して緊張を少しでも和らげるやり方を取るアガり症の私には、だいぶ困った状況です。

練習しながらも、「こんなんじゃダメだ」「こんなようじゃ突然の本番ではもっと崩れちゃう。お客さまの大切な時間なのに。せっかくの展示会も興ざめだ…」と蒼ざめる日々。

「もうっ、なんでミスしちゃうんだろう」
ミスした自分を責めようとした瞬間思い当たりました。
「あれ?」
「今私はミスする音をちらっと思い浮かべてたんだ…」

よく考えてみました。

一瞬他の音を思い浮かべて間違えてその音を出してしまっていること。
思いが強すぎて勢い余って隣の絃まで弾いてしまうこと。
心配になって遅くなること。
気持ちが高ぶって音がひっくり返ること。
焦ってどんどん早くなること。

私はその時の私に忠実に音を出していたんだ…

そうです。
楽譜通りではないのですが、私通りに音を出していたのです。
私はそのときの私通りの音、私が思い浮かべた音を出しているので、私が私を責めても仕方ありません。

結局はそれが今の段階の私なのです。
そのミスは偽りのない私なのであり、それが今の私の音楽なのです。
素の私を聴いて頂く。未熟な私がお客さまに向き合える方法はそれしかないのです。

私は思い浮かべた通りのミスを弾く。
これは私を随分自然体にしてくれました。
この考えには賛否両論あるとは思います。ただ、もちろんそれは精進する気持ちを減じるものではありません。

そうして迎えた本番。
思い浮かべた通りの弾き間違いもし、思い浮かべた通りの弾き急ぎなどもしながらも、どの瞬間も偽りなくいられたような気がします。

また一つ飾らない自分になれたのはあの空間のおかげのような気がします。

いつか…
偽りのない自分のままに、心の底からよいと思えるものを作れることを夢見て。

2015-04-24

2015年4月24日

「やこちゃん、これ見て!」と姉が小学生の姪の前髪をかきあげました。
「え?なーに?」
「ほらほら」と眉毛あたりを指さすので、ジーッと見たら、あ、ありました。長い毛が一本、眉毛の間からビヨーンと伸びています。

「わあ、懐かしい〜!」

そうです。私は小学生の頃、眉毛から伸びてきた1本の長い毛を育てていました。
途中から白くなり始めましたが、大切に育てていたら伸びに伸び、とうとうアゴにまで到達しました。

朝起きるとまずその眉毛の伸び具合を確かめるため、ズズズーッと指を滑らせて、一人喜んでいました。
授業中、難しい問題があると、それの根元から指を滑らせながら考えると不思議と解けたものでした。

男友達には異様がられたものですが、オトコオンナと呼ばれていても全く意に介さないタイプであったせいか、むしろ誰も持っていない宝物を手にしているぐらいの気分でした。

ある日、朝起きて、いつものように眉毛を触ってみたら、あるはずのものがありません。
慌てて鏡に走って行きましたが、影も形もありませんでした。

あの時のガッカリしたこと。
これ以上落ちないほど肩を落としていたことと思います。
また伸びて来ないかと毎日鏡を覗き込みましたが、もうお目にかかることはありませんでした。

それから何十年もして、久しぶりに小学生時代のお友達に会った時のこと。
「やこちゃん、あの眉毛どうなった?」
「え?眉毛?…あーー!」
と、それこそ何十年ぶりにあの眉毛を思い出しました。
私とセットに何十年も覚えてもらっていたあの眉毛。
可笑しくなりながらも、あの慈しむような気持ちを思い出しました。
ああやって大切にしていると、自分の身体の中にも、お友達の記憶にも残っているものなんですね。

そして、姪に生えてきた異様に長い眉毛。
「遺伝かしら〜」
懐かしい友人に会った気分です。
「いいな、いいな」「育ててね、切っちゃダメよ」

でも、次の日、当然のように切られていました。
小学生の女の子が、私に見せてくれようと、しばらく切らずに取っておいてくれたと考えただけで嬉しくて、そして、やはり昔の私は変な小学生だったのだと改めて悟りました。

また生えてきてくれないかな。

2015-04-16

2015年4月16日

人生で何月の記憶が一番多いですかと問われたら、4月と答えます。

一年の計は元旦にありと気を引き締めてみたところで、幼稚園から大学まで、4月に始まりを強制されてきた身体の記憶の積み重ねには到底及ばず、この月の緊張感に包まれた中での新しいものとの出会いは記憶に深く刻まれています。

不安症の私にとって、4月は耐える月でした。
…と、格好をつけたところで、緊張し過ぎると視野が狭くなり、結局はなんかやらかして、気が抜けて、チャンチャンなんですよね。

大学の入学の時もそうでした。
仙台から東京へ。そして、周りには知り合いが一人もいない。
入学式からして、どんな格好をしたら良いか分からず、雑誌をチェックする毎日。どうにかイケてそうな洋服を揃えました。

で、入学式当日。
式の1時間前に上京した親と待ち合わせて、いざ会場へ。
さあて、着替えるか。
…と思ったら、入学式の服がない!
仙台に忘れてきたのでありました。

もう買いに行く時間なんてありません。
結局、母親の服を着せられて入学式へ。
イケてる服のはずが、そこそこのおばさまの服に身を包まれている自分。
むしろ知り合いがいなくて良かったと胸を撫でおろしながら、やっぱり決まらないなと苦笑いしたことを覚えています。

そして4月の緊張から解放される5月の連休の輝き。
その安堵感も身体に染みついています。

ところで、今年のゴールデンウイークは、国立のコートギャラリーというところで、いつも私のコンサートの舞台美術をしてくださる川合牧人さんが、『川合牧人展・陶 ー白のゆるやかな視線ー』を開催します。お花は手島久子さんです。コンサートで話題になったゴロゴロにもまた会えるだけではなく、東京では珍しい穴窯で焼いた器にもお目にかかれるようです。

会期中の5月2日3時より、私もそちらでミニコンサート(無料)をさせて頂くことになりました。
コンサートのタイトルは「かげろひて」。同名の曲をこれのために作曲しました。

4月の緊張が緩み、陽の光が眩しく感じられる頃でしょうか。
お時間がある方、どうぞ遊びにいらしてくださいね。



2015-03-21

2015年3月21日

聴いてくれる人は誰なんだろう。
これが問いになることがあるとは思ってもみませんでした。

昨年末、泉岳寺の義士祭で奉納演奏をさせて頂きました。

赤穂浪士といえば、その悲劇的なドラマが年末の恒例となっていますが、泉岳寺には赤穂の義士のお墓があり、討ち入りの12月14日に義士祭を催します。
そこでの奉納演奏でした。

事前に受けた説明によると、本堂にはお客さまを入れず、釈迦如来像に向かって私が相対し奉納の演奏をするのをお坊さまが見守るとのこと。
曲目も全て任されていました。
義士の方々の霊を慰めるものであれば何でもいいです、と。

いつもは、お客さまがいて、場があって、自分がいる。そんな流れで自然と曲が決まるものですが、さて、今回のお客さまは誰なんだろう。

境内には私の演奏が流れるのですが、お賽銭箱にお賽銭を投げ入れる参拝客には完全にお尻が向いており、明らかにそちらに向かっての演奏ではありません。

私の演奏を誰が聴いてくれるのだろう?
そのお客さまを見極める手がかりを探すために、まず義士博物館から。
一つ一つのものを丁寧に見ていくと、遠くにあった物語が、我がこととして少しずつ近づいてきます。四十七士、若者ばかりです。信念を貫く、と言ってもそもそも誰の信念か、そんな迷いもあったはず、と、何かこみ上げてくるものがあります。

そして、墓所へ。
一歩踏み入れ、アッと後ずさりました。
足の爪先から、圧縮された気の塊のようなものが、うごめきながら這い上がってくるのです。

いやいや、思いこみだと、いったん墓所の外へ出て一息入れ、気を取り直して、そっと扉を開けるようにしながらまた一歩。
やはり足先から膝を伝って、細かく震えているようなものが張り付いてきます。

最後のお墓に辿り着いた頃には、酷い風邪の時の悪寒のようなものに全身が覆われてしまっていました。
しかし、一歩墓所を出たら、嘘のようにそれが消えていきました。

その時、私のお客さまが分かったような気がしました。
私は、そういう者たちの哀しみを思って、このお話を頂く少し前に「嗟歎」という曲を作っていました。
何かがあるのかしら……

当日は日曜に重なったこともあり、すごい人出となりました。
薄暗い本堂の中、目の前にいるのは釈迦如来ばかり。
お坊さまがたは気配を消しつつ、あちらこちらにいらっしゃるようです。

広いお堂の中で、音を伝えるにはものすごい力が必要でした。
そこにいる何者かが抱いている思いを身体に感じることだけに意識を集中し、たまに聞こえてくるお賽銭のチャリンチャリンの音も段々聞こえなくなったある瞬間、音がパーッと渡ったのを感じました。

あ、聴いてもらっている。
そう確かに感じました。

終わったら、境内からの参拝客の拍手に、その青ざめた薄暗い空間が我に返ったようでした。
普通の日常がそこにありました。

お坊さまがたの感動しましたの言葉が妙に心に沁みましたが、私に向けられていたようで、私だけに向けられていたのではないのですよね。
考えてみれば、太古、「こと」は祈りに寄り添う楽器。
聴く人は魂を持つもの。
これが本来の姿であったのかもしれません。

2015-03-13

2015年3月13日

諺通り、1月は往き、2月は逃げてしまいましたが、それは喜びに満ちた2カ月でした。

古くからのクライミングの友人の小林センセイに声をかけて頂き、センセイが先生をしている横浜の特別支援学校で高一の音楽の授業のお手伝いをすることになったのです。全6回の日本音楽の授業です。

生徒たちにきっと、ヤッちゃんの演奏にこめられた心が伝わるはず。
とのありがたい言葉に、そうであってほしいという気持ちと、センセイの愛する生徒さんに会う前から愛しい気持ちとが湧いてきて、出来る限りのことをしようと心に決めたのでした。

長い間学校教育に邦楽を取り入れようと尽力された茅原さんの家に小林センセイと訪ねたり、お世話になっているお箏屋さんの中嶋さんに楽器を集めて頂いたり……

迎えた1回目。
小林センセイに言われました。
生徒たちにどのくらいのことが出来るかが分からないので、毎回の授業で試行錯誤しつつ最終的な方向性を考えていくんだよ。

その時その時に感じることを大切にし、とにかく心を開いたままにしようと決めました。

まず何が驚いたかというと、先生方の熱心さでしょうか。
対応しなければならないことがあまりに多いので、21名の生徒に15人の先生がつくのですが、1人1人に必要な能力を高めるということを常に考えながら温かく接しているのがよく分かるのです。
音楽の授業も、5分おきくらいに行うことが予め考えられており、それを自然に進めていきます。唄ったり、踊ったり、鑑賞をしたり、楽しめるようにそれぞれがかなり工夫されていて、唸らされます。

さて、初めての箏の登場。
色んな気配を感じましたが、興味津々、というのがちょっと上回った感じでしょうか。
そして初めての箏の音色。
それはそれはシーンとして耳を傾けてくれています。

「ブラボー!」
弾き終わった瞬間に右手を上げてぴょんと立ち上がってくれた男の子がいました。
なんて嬉しいこと。
私もこれから心が弾んだらこうしよう。

いざ全員が順番に箏を弾く段になりました。
爪を親指につけるのがなかなかうまくいきません。爪をどうにか押さえながら、腕の力を抜いて箏の上に落とすと……
出ました!

1人1人全く違う音です。
楽しんでいる人は楽しい音、力を入れている人は力の入った音、怖がっている人は怖がっている音、何も考えずに手を振り下ろした人は無心の音。
どの音もとっても愛しいのです。
音に優劣はないのでした。
その時のその心が美しいのであり、その時にその音を出すことが美しいのです。

そして、音が出た後の、誰に向けることのない笑み。
フワッとした心の動きの発露。
あー、私もこういう笑顔でありたい。

こんな風に始まった授業でした。
小林センセイに励まされ、その時々で箏に対する私の思いを言葉にもしてみました。詰まる私の声にも、耳がずっとこちらを向いています。
毎回することを少しずつ変えると、新しい世界に身を置くことに喜びを感じてもらえているようでした。

鑑賞では私が演奏させて頂くことが多かったのですが、昔の曲と今の曲、1人の曲と合奏曲などを楽しんでもらえるよう色々アレンジしたり、生徒の皆さんと先生方の輝いている様子をイメージしながら作曲したり……

皆んなも徐々に箏に慣れ、途中卒業生を送る会で唄と踊りと箏で出し物をするというイベントを挟みながら、授業は名残惜しいままに終わりました。

最後にある先生が教えてくれました。
ベルを鳴らすことさえ難しい生徒も、腕の力を抜いて落とすだけで綺麗な音が鳴る箏は弾けるようなのです。自分の手で音を鳴らしていることが分かり、自分から手を動かしているんです。

そうなんです。
私も初めて気がついたのです。
自分がなかなかうまくいかないことから箏は気難しい楽器だと思い込んでいたのですが、本当は箏はやさしい楽器だったのでした。

すぐに綺麗な音の出る、易しい楽器であり、優しい楽器だったのでありました。

全てに感謝をしつつ。








2015-03-06

2015年3月6日

ご報告が遅くなりましたが、ホームページに昨年末のコンサートの映像をアップしました。

自分が演奏している映像を自分で見るというのは、弾くときに必死であればあるほどエネルギーがいる作業です。
蘇ってくる膨大な感覚の波のうねりに、全身の力をこめて足を踏ん張らなければその場にいられないのです。

やっとその力が蓄えられ、コンサートの映像を見ることが出来ました。
今年も阿部ちゃんこと阿部耕介さんに撮ってもらった映像は本当に美しく、阿部ちゃんの奥床しい思いやりに満ちているように感じます。

川合さんと手島さんに作って頂いた空間の中だと、おっちょこちょいの私も少しゆったりしているような気さえします。

怒濤の感覚の波が行き過ぎたら、それまでその場で踏ん張るために入れていた力が必要でなくなりました。
不思議なものです。

そのまま会場に連絡を取り、今年のコンサートを決めました。   

何かを始めるのに力はいらなく、終わるのに力がいるだけなのかもしれませんね。
始められないのは、実は何かが終わっていないからなのかもしれません。

今年は10月3日18時から求道会館で開催いたします。
また皆さまにお会い出来ますように!

2015-01-20

2015年1月20日

新年を迎えてはや半月。
私がスタートダッシュをするはずだったのに、時の流れがスタートダッシュしているようです。

さて、片づけがあまり上手ではない私ですが、年末の片づけはちょっと面白かったです。

過去を整理する要素が強い片づけですが、私は、過去の中で重要なものを取っておくという考えでは、どうもモチベーションが上がらず……。
うーん。こういう時は一回立ち止まるに限ります。

そこで周りをよく見回してみました。
今までの自分が共にしてきたモノたちです。
それぞれに色んな思い出がくっついていて懐かしい…

…あれ?
懐かしい?いやいや。
そんな感傷に浸っている場合じゃないような気がしてきました。

これを目にすると「懐かしい」と思うだろうという未来は、これが目の前にある限り起こるでしょう。
そうなると、この「懐かしい」ものは、過去のものであるようで、自分の未来を構成するものです。

あれあれ?
そうやって見ていくと、自分の周りに見えているものは、自分の未来を構成するもののように思えてきました。

実際これを思った瞬間はすぐに過去になってしまいましたが、やはり同じモノに囲まれたままです。
さっきは未来だった次の瞬間も、これらのモノに囲まれたまま過去になってしまいました。

さっきは未来だったものが次々と過去になるのを感じながら、でも周りの景色がなにも変わらないところに私はいました。

そっか。
この周りに見えているのは私の未来の景色なのか。

そして、その未来はこの手がそのモノをどうするかによって変わっていくんだ。

そう思うと何か切羽詰まった思いが湧き上がってきました。

これは私の未来にあって欲しいモノなのだろうか?
これは私の未来であって欲しいことなのだろうか?

周りのモノ、周りのコト、頭の中のコト…
全てが問いを持つものとして、私に迫ってくるようです。

どうやら、過去に感謝をしつつも、サヨナラをしなければならないものが思っていた以上にあるようです。

でも、これが私の未来だと思って周りを見回すと、人もモノも愛しく輝き始めてきます。

私たちはなんと不思議なものに囲まれて生きているのでしょうか。

2015-01-01

2015年1月1日


あけましておめでとうございます。

相変わらず大掃除に追われる大晦日。
なんで毎年こうなのかなー、と反省しながらする大掃除は倍疲れるもので、夕方にはヨレヨレになってしまいました。

その時、ベッドの下の段ボールから大発見。
なんと、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』の初版本と、谷崎潤一郎現代語訳の『源氏物語』の初版本!

装丁の隅々までに心がこもっていて、本が大切にされていた時代の、皆の慈しみのようなものが本の外側にまで滲み出ています。

「すごい!」と一旦口に出したら止まらなくなり、「すごいっ」「すごいわー」「すごいなあ」「すごいよねー」
100回くらい連呼したでしょうか。

気がついたら疲れはどこかへ飛んでいってしまいました。

あれ?あんなに疲れていたはずなのに…
やったことと言えば、感動して叫んだだけ。
疲れって、心が動かなくなったときに起こる感情なのかしら?

きっと50年以上前の人々の心の動きが私の心を揺り動かして、知らせてくれたのでしょう。
心の動きの深遠な力を…

大晦日にいいプレゼントを頂きました。
さぁて、今年もめいっぱい心を動かしていきますよ!