2018-12-31

「峠(タムケ)」映像できました

先日のリサイタルの演奏「峠(タムケ)」(杉山洋一作曲)の映像を作って頂きました。
約2500年前のお墓で発掘された琴を復元した五絃琴と、正倉院におさめられている琴を復元した七絃琴。共鳴部のほとんどない琴が、求道会館のステージを共鳴箱として深い音で鳴り響きました。
罪で地方に流された夫と、都に残された妻の相聞歌が万葉集に残されており、私(五絃琴 ・妻)と沢井一恵先生(七絃琴・夫)がそれぞれの唄を奏でます。
ちょっと長いですが最後まで聴くと低音がいつまでも響き続ける錯覚に襲われます。
これからもずっとずっとこれが私の中で響き続けるような気がしてなりません。

2018-11-20

リサイタル終わりました

リサイタル、無事に終わりました!!

1週間前に新たな五絃琴の弾き方を発見して全ての指順を変えたり、新曲に苦しみ、前々日の夜にやっと出来上がったり、相変わらずいっときも気が抜けない状況が続き、最後はやはり天を仰いで神に祈るばかり。

朝起きたらスマホはピクリともせず、昨夜までのチケットのやり取りのメールがちょうど終わったところで、タイミングが良いのか悪いのか。不義理してしまった方、ごめんなさい。

箏は響きが少ない楽器で、会場によってはそれで悩むことも多いのですが、昨日はリハーサルで箏の爪音がとても響くことに驚き、思わずアナウンスのマイクのスイッチが入っているのかと確認するほどでした。共に舞台に立ってくれた竹が一緒に響いてくれたのでしょうか。凛として力強い竹がそこにいてくれました。

本番では更に小さな音が響いて行くぐらいで、それはお客さまが奏でてくださっているのだろうと、弾きながら胸が熱くなったり…

ゲストでいらしてくださった沢井先生の七絃琴の音はまさしく時空を超えて響き渡るようで、太古から日本人がどのような音を慈しんできたかを感じさせるものでした。

それにしても、やっぱり何より会場は温かったです。大好きなスタッフの皆さんにそばにいて頂き、心優しいお客さまに共に奏でて頂く。それは本当に本当に幸せなことです。
何一つ自分では出来ないことだと肝に銘じています。

皆さま、本当に本当にありがとうございました!!

2018-10-30

竹取りにて

今年もリサイタルの舞台背景に使う竹を取りに、八王子の長沼公園に行ってきました。

舞台を彩って頂く陶芸家の川合牧人さんと華道家の手島久子さんとご一緒に、サミーさんこと松村正道さんのご案内で、長沼公園の神社横の竹やぶで竹を取り、境内で作業するというなんともありがたいシチュエーションの中での竹取りでした。

今年の竹は、夏の猛暑を身体いっぱいに含んでいて、大きくてかたい!
バリバリと音を立てて倒れる竹が色んな木々に巻きつくのを、「オー」とか「ワー」とか言っているだけで、今年もなんの役にも立てませんでした。

でも、必死で力をこめて、竹を運んだり、枝を落としたり、ゴシゴシ磨いたりしていると、あんなにおっきく見えた竹がなんだか身近に思えてきて、手入れするというのは、モノと仲良くなれるものなんだな〜と。

きっとモノとの垣根って結構かたくて、それを外すためには、力をこめてゴシゴシしたりナデナデしたりして少しずつ剥がしていかなきゃいけないんですよね。
昨年は、竹取りで身体いっぱい力を使うことを覚えましたが、今年も大切なことを学びました。

この神社の管理者は、近くで田んぼを持っていて、スズメのためにわざわざ食べ物を残しているような心優しい方で、今回の竹取りを快く許可してくださいました。サミーさんもひたすら楽しんでくださるご様子で全ての竹を切ってくださいました。ヘトヘトになるような作業なのに…。川合さんも手島先生もいつものさらりとした気配りの中でにこやかに手を止めません。
最後は即席竹ボウキで綺麗さっぱり。

この全てをそのままそっくりコンサートに持っていきたい。
きっと持って行けると信じて、あとはひたすらに励みます。

2018-10-25

土俗の乱声 レコーディング

最近facebookでのご報告が中心になってしまい、ちょっと反省です。
やっぱりブログできちんと今の自分を綴っていければと思っています。

「土俗の乱声」のレコーディング、無事に終わりました。

これのお話があったのは1年前。
ドキュメンタリー映画「土俗の乱声」につけられた伊福部昭作曲の曲を二十五絃箏一面のために私が編曲して演奏し、CDに収録するというものでした。

元のオーケストラの演奏を聴いた時に、その迫力と格好良さに、思わず、「やります!」

しかし、実際、金管、バイオリン、ピアノ、ゴング、ティンパニーが響き渡るオーケストラの40分余りの曲の分厚いスコアを目の前に、途方に暮れてしまいました。

私の悪い癖で、考えていることを理由としてそのまましばらくフリーズ。
「やります!」と威勢よく言ったもののどうやら一歩も進んでいないらしいのを察した周りの方々が、映画の思い出話をしてくださるために集まってくださったり、録音の様子を記録したものを見せてくださったり。
伊福部先生を取り囲んでいた優しさを、私もお裾分けして頂き、少しずつ勇気が出てきました。

なにかのキッカケを探そうと、この曲のキーとなっていると感じた、ゴングの音を実際に弾いてみたいと、ガムランまで習い始めてしまいました。

土俗の乱声で取り上げられているお祭りや歴史も調べに調べ、とにかく編曲するまでの道のりの長いこと。
そんなことを経て、今井聡さん編曲のピアノ譜を参考にさせて頂きながら、どうにかどうにか出来上がりました。

レコーディングでその途中経過をあれこれ報告していたら、「あのォ……ちょーーーっと遠回りし過ぎじゃありませんか?」と優しい呆れ顔。
確かに。1年かけて編曲って、本当に不器用な私らしい気がします。

でもその回り道で、沢山の拾いものをして、ポケットがパンパンになりました。
レコーディング当日も、目からウロコが落ちるようなことが多く、最後の最後まで拾い続けました。

編曲するまでが時間がかかりすぎて、レコーディングでどうだったのかは心配ですが、この曲を11月のリサイタルでも演奏します。

拾ったものを身体の奥の奥にまで入れ、それが湧き出るものになっていますように。


2018-03-18

2018年3月18日

今年も大好きな季節が終わってしまいました。
花のひとひらのように美しい手のはためき、蕾が開く音が聞こえてくるかのような微かな空気の揺らぎ、人はなんて美しいものなのかと心震わせる季節です。

年明けから、ひの特別支援学校の音楽の授業にお邪魔させて頂きました。
3年間ご一緒した生徒さんたちは昨年卒業したので、今年は新しい生徒さんたちです。

実は私は、とても分かりづらいひどい人見知りです。新しい人と会う時、身体も心もまるで自分のものじゃなくなるような居心地の悪さを感じます。

でも、ここでは安心です。
緊張しないということではなくて、緊張するのが当たり前だからです。
初めて会ったら平気ではいられない。
なんで隠さなきゃいけないんだろう。

私はよそ者です。
でも、よそ者が皆んなの前に立つ大変さを、皆さんよく知っています。
「サトウ先生、頑張ってー!」って口々に応援してくれる声に、照れながらガッツポーズ。

お箏の音をよく聴いてくれて、心地よいシーーンとした音で部屋が満たされます。
途中で1箇所音がカスれてしまったら、小さな声で「頑張れー、頑張れー」って言ってくれている生徒さんもいます。何十回も!

生徒さんもいっぱい弾きました。

絃を撫でた後にずっと手を空にかざしている生徒さんがいます。
音が生まれるのって魔法ですよね。
風がとっても好きで、風を感じるとそうやって手をひらひらとするんだそうです。

ひたすらに絃の上で爪を動かしている生徒さん。
表情が全く変わらないまま私と見つめ合っていたら、ある瞬間空気がほどけました。
同時に周りの先生方の「わあ!」という声。
外しようのないまさに今。
目に見えるものはほとんど変わらないのに。

爪の動かし方を教えたくなり近寄ったら、唇をぷくって膨らませました。
ごめん、ごめん。
そっと離れました。
唇ってこんなに愛らしいんだ。

はちきれる笑顔の爆発力。
笑顔を見て涙が出てくることだってあります。
あの爆発で、星が軽く1個は出来たかも。

先生が、「お箏に似せて作ったお菓子は何でしょう」というクイズを作ってくれました。
苺のショートケーキと八ツ橋とポッキーの写真が並びます。
迷わずショートケーキに手を挙げる生徒さんたち。

ホントだ!
何で気がつかなかったんだろう。
赤い苺がのったショートケーキを見た時、身体が嬉しそうにするのって、箏を弾いた時とそっくりです。

私が出来ること、それはもちろん何にもありません。
感動するぐらいしかできません。

だったらめいっぱい感動しちゃおう、ってことで、準備としての箏の調絃を、自分で感動するまでって、いっぱい時間をかけてやってみました。

そっかぁー
私にだって与えられているんだ。
ピタゴラスだって、こうやってドレミファを発見したに違いない。

手をひらひら。
風が生まれます。
生んだ風に自らが吹かれます。

手をひらひら。
私たちはこうやって景色をかたちづくってきたのかもしれない。

まさに生まれいづる今に心を揺らしながら、これを愛おしめばいいのだと教えられた気がします。

名残惜しいこの季節。

ありがとうをいっぱい身体にためて、また新しい今に心をゆだねます。