2015-03-21

2015年3月21日

聴いてくれる人は誰なんだろう。
これが問いになることがあるとは思ってもみませんでした。

昨年末、泉岳寺の義士祭で奉納演奏をさせて頂きました。

赤穂浪士といえば、その悲劇的なドラマが年末の恒例となっていますが、泉岳寺には赤穂の義士のお墓があり、討ち入りの12月14日に義士祭を催します。
そこでの奉納演奏でした。

事前に受けた説明によると、本堂にはお客さまを入れず、釈迦如来像に向かって私が相対し奉納の演奏をするのをお坊さまが見守るとのこと。
曲目も全て任されていました。
義士の方々の霊を慰めるものであれば何でもいいです、と。

いつもは、お客さまがいて、場があって、自分がいる。そんな流れで自然と曲が決まるものですが、さて、今回のお客さまは誰なんだろう。

境内には私の演奏が流れるのですが、お賽銭箱にお賽銭を投げ入れる参拝客には完全にお尻が向いており、明らかにそちらに向かっての演奏ではありません。

私の演奏を誰が聴いてくれるのだろう?
そのお客さまを見極める手がかりを探すために、まず義士博物館から。
一つ一つのものを丁寧に見ていくと、遠くにあった物語が、我がこととして少しずつ近づいてきます。四十七士、若者ばかりです。信念を貫く、と言ってもそもそも誰の信念か、そんな迷いもあったはず、と、何かこみ上げてくるものがあります。

そして、墓所へ。
一歩踏み入れ、アッと後ずさりました。
足の爪先から、圧縮された気の塊のようなものが、うごめきながら這い上がってくるのです。

いやいや、思いこみだと、いったん墓所の外へ出て一息入れ、気を取り直して、そっと扉を開けるようにしながらまた一歩。
やはり足先から膝を伝って、細かく震えているようなものが張り付いてきます。

最後のお墓に辿り着いた頃には、酷い風邪の時の悪寒のようなものに全身が覆われてしまっていました。
しかし、一歩墓所を出たら、嘘のようにそれが消えていきました。

その時、私のお客さまが分かったような気がしました。
私は、そういう者たちの哀しみを思って、このお話を頂く少し前に「嗟歎」という曲を作っていました。
何かがあるのかしら……

当日は日曜に重なったこともあり、すごい人出となりました。
薄暗い本堂の中、目の前にいるのは釈迦如来ばかり。
お坊さまがたは気配を消しつつ、あちらこちらにいらっしゃるようです。

広いお堂の中で、音を伝えるにはものすごい力が必要でした。
そこにいる何者かが抱いている思いを身体に感じることだけに意識を集中し、たまに聞こえてくるお賽銭のチャリンチャリンの音も段々聞こえなくなったある瞬間、音がパーッと渡ったのを感じました。

あ、聴いてもらっている。
そう確かに感じました。

終わったら、境内からの参拝客の拍手に、その青ざめた薄暗い空間が我に返ったようでした。
普通の日常がそこにありました。

お坊さまがたの感動しましたの言葉が妙に心に沁みましたが、私に向けられていたようで、私だけに向けられていたのではないのですよね。
考えてみれば、太古、「こと」は祈りに寄り添う楽器。
聴く人は魂を持つもの。
これが本来の姿であったのかもしれません。

2015-03-13

2015年3月13日

諺通り、1月は往き、2月は逃げてしまいましたが、それは喜びに満ちた2カ月でした。

古くからのクライミングの友人の小林センセイに声をかけて頂き、センセイが先生をしている横浜の特別支援学校で高一の音楽の授業のお手伝いをすることになったのです。全6回の日本音楽の授業です。

生徒たちにきっと、ヤッちゃんの演奏にこめられた心が伝わるはず。
とのありがたい言葉に、そうであってほしいという気持ちと、センセイの愛する生徒さんに会う前から愛しい気持ちとが湧いてきて、出来る限りのことをしようと心に決めたのでした。

長い間学校教育に邦楽を取り入れようと尽力された茅原さんの家に小林センセイと訪ねたり、お世話になっているお箏屋さんの中嶋さんに楽器を集めて頂いたり……

迎えた1回目。
小林センセイに言われました。
生徒たちにどのくらいのことが出来るかが分からないので、毎回の授業で試行錯誤しつつ最終的な方向性を考えていくんだよ。

その時その時に感じることを大切にし、とにかく心を開いたままにしようと決めました。

まず何が驚いたかというと、先生方の熱心さでしょうか。
対応しなければならないことがあまりに多いので、21名の生徒に15人の先生がつくのですが、1人1人に必要な能力を高めるということを常に考えながら温かく接しているのがよく分かるのです。
音楽の授業も、5分おきくらいに行うことが予め考えられており、それを自然に進めていきます。唄ったり、踊ったり、鑑賞をしたり、楽しめるようにそれぞれがかなり工夫されていて、唸らされます。

さて、初めての箏の登場。
色んな気配を感じましたが、興味津々、というのがちょっと上回った感じでしょうか。
そして初めての箏の音色。
それはそれはシーンとして耳を傾けてくれています。

「ブラボー!」
弾き終わった瞬間に右手を上げてぴょんと立ち上がってくれた男の子がいました。
なんて嬉しいこと。
私もこれから心が弾んだらこうしよう。

いざ全員が順番に箏を弾く段になりました。
爪を親指につけるのがなかなかうまくいきません。爪をどうにか押さえながら、腕の力を抜いて箏の上に落とすと……
出ました!

1人1人全く違う音です。
楽しんでいる人は楽しい音、力を入れている人は力の入った音、怖がっている人は怖がっている音、何も考えずに手を振り下ろした人は無心の音。
どの音もとっても愛しいのです。
音に優劣はないのでした。
その時のその心が美しいのであり、その時にその音を出すことが美しいのです。

そして、音が出た後の、誰に向けることのない笑み。
フワッとした心の動きの発露。
あー、私もこういう笑顔でありたい。

こんな風に始まった授業でした。
小林センセイに励まされ、その時々で箏に対する私の思いを言葉にもしてみました。詰まる私の声にも、耳がずっとこちらを向いています。
毎回することを少しずつ変えると、新しい世界に身を置くことに喜びを感じてもらえているようでした。

鑑賞では私が演奏させて頂くことが多かったのですが、昔の曲と今の曲、1人の曲と合奏曲などを楽しんでもらえるよう色々アレンジしたり、生徒の皆さんと先生方の輝いている様子をイメージしながら作曲したり……

皆んなも徐々に箏に慣れ、途中卒業生を送る会で唄と踊りと箏で出し物をするというイベントを挟みながら、授業は名残惜しいままに終わりました。

最後にある先生が教えてくれました。
ベルを鳴らすことさえ難しい生徒も、腕の力を抜いて落とすだけで綺麗な音が鳴る箏は弾けるようなのです。自分の手で音を鳴らしていることが分かり、自分から手を動かしているんです。

そうなんです。
私も初めて気がついたのです。
自分がなかなかうまくいかないことから箏は気難しい楽器だと思い込んでいたのですが、本当は箏はやさしい楽器だったのでした。

すぐに綺麗な音の出る、易しい楽器であり、優しい楽器だったのでありました。

全てに感謝をしつつ。








2015-03-06

2015年3月6日

ご報告が遅くなりましたが、ホームページに昨年末のコンサートの映像をアップしました。

自分が演奏している映像を自分で見るというのは、弾くときに必死であればあるほどエネルギーがいる作業です。
蘇ってくる膨大な感覚の波のうねりに、全身の力をこめて足を踏ん張らなければその場にいられないのです。

やっとその力が蓄えられ、コンサートの映像を見ることが出来ました。
今年も阿部ちゃんこと阿部耕介さんに撮ってもらった映像は本当に美しく、阿部ちゃんの奥床しい思いやりに満ちているように感じます。

川合さんと手島さんに作って頂いた空間の中だと、おっちょこちょいの私も少しゆったりしているような気さえします。

怒濤の感覚の波が行き過ぎたら、それまでその場で踏ん張るために入れていた力が必要でなくなりました。
不思議なものです。

そのまま会場に連絡を取り、今年のコンサートを決めました。   

何かを始めるのに力はいらなく、終わるのに力がいるだけなのかもしれませんね。
始められないのは、実は何かが終わっていないからなのかもしれません。

今年は10月3日18時から求道会館で開催いたします。
また皆さまにお会い出来ますように!