2015-12-19

2015年12月19日

さあて、今年一番大変だったことは何かな、と考えてみると、どれもこれも喉元過ぎれば、という気がしてきます。
なかなか喉元を通り過ぎなかったもの。それは歌だったかもしれません。

私は人前でひとりで歌うことにひどいコンプレックスがあり、それを避けて避けて生きてきました。
それは小さい頃のちょっとした出来事から始まりました。

小学校2年生のある日のホームルームの時間、担任の先生が、「やこちゃん、皆んなの前でお歌を歌ってちょうだい」。
多分、先生は私の歌を好きでいてくれたのです。

とても恥ずかしがり屋だった私でしたが、先生の言うことを聞かなければならないと、トコトコと前に出て行きました。
皆んなの前で歌を歌うということがどういうことか分からなかった私は、唱歌を大きな声で歌い始めました。テレビで見る歌手を思い浮かべ、それこそオペラ風に声を響かせて歌ってしまいました。

気がついてみたら、ドーッと爆笑の渦に包まれていました。男の子には指をさされて笑われました。
そりゃあそうですよね。小学2年生の女の子がそんな風に歌ったら滑稽なだけです。
私は自分の席に戻って、机に突っ伏したまま顔を上げられなくなりました。

この日以来、私は人前でひとりで歌えなくなってしまいました。

箏に唄はつきものですし、いつまでも、そんなことにこだわっているなんて、あまりにも自分がちっぽけに思えてきて、今年はそれを乗り越えるべく、10分以上ひとりで唄いながら演奏する曲をプログラムに入れてしまいました。

舞台に立つことが怖いことは予め想定内でしたが、昔日のトラウマの及ぼす恐ろしさは、思ったよりキツいものでした。
練習している時も、優しいお客さまの顔を思い浮かべ、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせるものの、身体の芯が定まらず、コンサート半月前からは細かい震えが止まらないようでした。
挙げ句の果てには、気管支を悪くし、練習もままならない事態になってしまいました。
よっぽど身体は拒否していたのでしょうね。

迎えたコンサート当日、意を決して、どうなってもそれが今の自分、と精一杯心をこめて唄いました。
本番中もたまに自我が戸を叩いてくる、ということをトラウマはもたらすのだと学びました。
しかし、歌うのが好きだった頃の自分をも思い出させてくれました。

「やすねえの歌、好きだな」と言ってくれた友人。
小学2年生の頃よりマシになったかな。

2015-12-06

2015年12月6日

姉夫婦が主催しているフォレストヒーリングに行ってきました。
八王子の長沼公園は、新宿から30分ほどの駅近の公園ですが、一歩踏み入れればそこは森。山の中の奥深い森のようなものが突然ぽんと現れます。

一言で言えば森林浴なのですが、これがなかなか愛のこもった企画で、皆さん本業は別にありながら、長沼公園のガイドの松村さん、姉含めた森林医学認定医、義兄が理事をしている木暮人倶楽部の面々がサポートしてくださり、フォレストヒーリングは進んでいきます。

私は無理をすることが何より大好物なのですが、これに限っては、無理をすると身体への健康効果が半減するらしく、森の体内時計に合わせた時間の流れに身を任せて時を過ごします。
普段とは違うものに身体は一瞬戸惑うようですが、草に寝転んで目を閉じると、「あら、そのモードね」と身体が笑って応えます。

ゆったりすると言えばそうでもあるのですが、ささやくような葉の擦れる音や、小さな実の膨らみ方の違いまでが気になってくるので、ある意味、とても忙しくしているのだとも言えるのかもしれません。
周りを見回すと、寒さから葉が半分落ちていて、幹がその姿を露わにしています。様々にうねりつつ、思い思いの姿で立っています。

しばらく歩くとヨガの時間。先生のキューちゃんの呼吸や体勢の指示に従って、「山のポーズ」を取ります。
動きとしては、目を閉じて立つ、という非常にシンプルなものですが、細かく細かく震えながら立っている自分の動きが気になります。
おそらく、心を鎮めて天と地を感じつつどっしりと立つのがこのポーズの目的なのですが、その前提として、こんなにも細かく細かくバランスをとらなければならないなんて……。
我ながら足にうまい具合に力をいれているものです。
今まで何十年も当たり前にやっていることですが、身体は黙々と細かく細かくバランスを取っていてくれたのでした。

目を開けると、木々のうねった幹がまた目に入ってきました。

そうだったんですね。
木も、こうやって立っていたのでした。
風をよけ、日ざしを浴び、養分に近づくために、細かく細かくバランスを取りながら立ち続けていて、その目に見えない動きの歴史を、うねる幹という形で目の前に現してくれていたのでした。

どっしりとしたものを支える細かい細かいバランス。
動かないものを支える動き。
それは身体の実感として私に沁みこみました。
そして、その動きを目に焼きつけました。

帰ってきて二十五絃箏を弾いたら、やっと、立ち方ならぬ、座り方が分かったのでありました。