2014-12-25

2014年12月25日

先日古典曲を唄う機会がありました。
一度きちんと古典の唄に取り組まなければと思い、これに合わせてこの1年は唄についてあれこれと考えることの多い日々でした。

自分の身体という楽器を使って音楽を奏でる、という意味では、唄というのは箏を弾くのとなんら変わりのないものだとも言えます。

では、何が大きく違うかというと、やはり歌詞があることでしょうか。
素敵な音色を奏でる鳥や虫はいますが、長い年月を経て獲得した言語を音にのせるというのは、人間の独特な作業であるように思います。

一つの言葉が生み出されるまでには、声にならないイメージの積み重ねがあるのだろうと常日頃感じています。
それに共感するエネルギーが高まり、ポンと言葉が生み出される。そして、言葉だけで思いが伝わるようになる。

古典の難しいところは、この言葉にあるように思います。
使われる言葉がイキイキとしていた時代には、その言葉には溢れんばかりのイメージがあったはずですが、多くの言葉は私たちの共通言語ではなくなってきています。

今回の歌詞に出てきた『鹿の音(ね)』。
古典ではよく出てくるのですが、そこに何の感情を籠めるかで迷ってしまい、改めて鳴き声を聴いてみました。
 


心の奥深くにある感情に手を伸ばしてくるような鳴き声です。
昔の人は、幾重もの思いをこの鳴き声の中に見い出したのでしょうね。

『鹿の音』という言葉だけでは、聴く人となんらかを共有出来なくなってきた今、私に出来ることは、自分の感じた思いを音に強くのせて、言葉にならないものを感じてもらうしかありません。

でも、それは嘆くようなことでもないのかもしれません。
まさしく、言葉が生まれる前に戻らざるを得ない状況を頂いているとも言え、そして、言葉を生み出すその瞬間に立ち会えるのかもしれないのですから。






2014-12-17

2014年12月17日

先日、科学者の国際会議のレセプションで箏の演奏をしました。
ヨーロッパを中心とした外国の研究者の方々が、箏の奏でる世界に興味を持つのだろうか…、乾杯後のざわめきの中に埋もれるのであろうと、心の準備をして出かけました。

ところが、それは静かな時間でした。
乾杯のあとのあのざわつきも嘘のように、こちらが奏でようとするものを感じようとして、ひっそりと息をして頂いているのが分かりました。

終わってから、言われました。
私達は太陽電池を研究しているのですが、光という耳に聴こえない波を扱っています。音楽は耳に聴こえる波です。
波は一様ではなく、機微があるということが分かってきています。

波の機微?

貴女が奏でた音は波として私達に届き、そして、私達も音がしない波を貴方に届けています。
その波を感じて、貴方はまた次の波を出すのです。

「では、私が弾きながら途中からお客さまが舞台で演奏しているのを聴いている気分になるのはそういうことでしょうか?」

そうしたらニコッとされて、それは間違いではないと思いますよ、と。

そして、箏は、演奏しながら狂った音を調律するということに非常に驚かれていました。
宇宙は、そのリズムを時々微調整していることが分かってきているそうなのですが、その営みに通じるところがあるようなのです。

「じゃあ宇宙も常に調律しているのですね」の言葉に、嬉しそうに頷いてくださいました。

波の機微…
短い時間ではその一部しか知ることは出来ませんでしたが、深いところに響きました。
これから私の中で何度も聴こえてくる言葉になるでしょう。

最後に言われました。
だから、私達研究者は貴方たちの奏でる音楽が好きなのです。

あの静けさの理由がはっきり分かりました。
耳でも、身体でも、波を受け取ろうとしてくださっていたのでした。

2014-11-13

2014年11月13日

ちょうどえぇ~

これがどんなに難しいことか…。
あるお笑いコンビのこのネタを見るたびに、この難しさをここまで分かった上で笑いにしていることに、笑いながら恐れ入っています。

それは、色んな場面で良いと思われることを面白おかしく次々と提示して、ちょうど良いと判断するものが出てきたときに、「ちょうどえぇ~」と言って終わるものです。
こうやって書くと、あまり面白くないですね…

少し前には「いい感じー(語尾を上げる)」というのも流行りましたが、これと似ているようで全く非なるものであると感じます。
「いい感じ」というのは、幅をある程度持つもので、そこから感じる余裕みたいなところが人を楽にしてくれるようです。

「ちょうどえぇ~」は、まさに絶妙な一点を狙っています。
移り変わる人の心や、刻々と変わる周りの状況をも考慮に入れた上での、その時だけにしか当てはまらない絶妙な一点。

箏を演奏するにおいて、次の音をどうするか。
「いい感じ」で終わらせようとする気持ちを振り払ったとしても、今度は、絶対的に良いと思われるものを事前に探して、それを再現しようとしがちです。しかし、いわゆる良い塩梅の味が汗をかいた日には薄く感じるように、いわゆる良い音がいつも人の心に届くわけではありません。常に感覚を鋭敏にし、自分の全てを総動員して、その一瞬にしか存在し得ないある一点を突き止めなければならないのです。

気が抜けたような「ちょうどえぇ~」の言葉に含まれる厳しさは底知れぬものがあります。
でも、「これはちょうどえぇ~かしら?」と考えると、ちょっとクスッとして、もう少し頑張ってみようという気がしてきます。

「ちょうどえぇ~」っていう言葉が、ちょうどえぇ~のですね。

2014-11-02

2014年11月2日

空気の手触りがはっきりしてきて、草木の輪郭が浮き出てきました。
コンサートからもう半月。思い返してみると、そんな筈はないのに、野分に吹かれていたようにも、また、夕凪の中にいたようにも感じます。

今年も舞台の演出は、陶芸家の川合牧人さんと、華道家の手島久子さんにお願いしました。
昨年の大胆な竹の舞台は、少し浮き立つ気持ちと共に、色鮮やかな映像としてまだそこにあります。

今回お願いしたのが約半年前。
今年の会場である求道会館は、正面に阿弥陀如来像が立つ六角堂が独特の雰囲気を醸し出しており、それだけで完成された空間になっています。
ここにどのような舞台美術を施すのか…。全く想像出来ないままに、川合さん、手島さんと共に二回、三回と会場に通いました。

模型も作って頂きながら、かなりの試行錯誤を重ねて頂いたようです。
最終的に、ほうきぐさとなんらかのお花を組み合わせたものにしますと言われました。

ほうきぐさと組み合わせるお花はどんなのがいいですか?
私が弾きやすい舞台になるようにというご配慮で、私が好きな花を聞かれました。

花といえば、可憐なムラサキツユクサが好きなのですが、実は、私にとって一番思い入れがあるのは、ススキの穂が揺れている中に萩の花が見え隠れする秋の野です。
そのことを口にしようと思ったものの、自由な中でのご判断を信じ、そのまま呑み込みました。

当日、まるで、ほうきぐさが林立する秋の野に佇んでいるようでした。
ほうきぐさの中に見え隠れする花は、萩の花を思わせる色合いを持つものでした。
思わずニッコリしてしまいました。

リハーサルでは、表情豊かな白礫釉を履いたほうきぐさ達の持つ気配が人間のそれとあまりに似ていて、何回も顔を上げて確かめてしまったのですが、本番では更に多くの人の温かみが加わり、六角堂の立つ秋の野に、人も草木も同じものとして存在することを思いながらその場にいました。

全ては自然の一部であることを感じていました。
自然であることは至難の技ですが、自然にあることは出来るのだということが大きな意味を持ち始めています。

2014-10-23

2014年10月23日

先週の土曜日、無事にコンサートを終えることが出来ました。
いらしてくださった皆さま、遠くから励ましてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

アンケートやメール、フェイスブックでの温かいメッセージがありがたくて、誰もいないのに、涙目で頭をペコペコ下げています。

来年こそは、遠くに見えるあの理想に近づくんだと心に誓うのですが、歩みが遅すぎて、月日が流れる早さに置いていかれてしまいます。
今年も、どんな奇跡が起ころうとも理想には一歩も近づけないという状況でコンサートを迎えてしまったこと、心から申し訳なく思います。

今の私に出来ること…。

良いものを作ろうなんて、絶対に勘違いしてはならない。
弾き方も分からない、精神の深みもない、それをそのまま送り出すことが私が出来るすべてなのだと腹を括りました。

そして、チラシにも書いたように、音を聴くものとしてだけでははなく、触るものとして感じて頂きたいという思いがありました。音は私の手を離れれば、もう私のものではありません。音自体だって私たちのように人と触れ合ったり、気持ちを通わせたりしたいのではないかという気がしていました。

コンサート会場は、六角堂の建つ秋の野のようでした。
一音出した時に驚きました。
音がリハーサルよりずっと響くのです。

音は人の服などに吸収されて小さくなると言われます。お客さまに沢山いらして頂いたので、力を随分入れないと音が響かないであろうと思っていました。
それでも良い音を出そうとは思わないようにしようと決めていました。
その時の自分であることだけを願ってはじきました。

その音が渡っていきました。
もちろんそれが途中で良い音に変わるわけではないのですが、会場中で手渡しをして回してくださっているようでした。

私の音が皆さんに触って頂けて、響きを大きくして頂いて、喜んでいるかのようでした。

自分の悩みは悩みそのままに、お話もさせて頂きました。それを共有して頂いているのも感じました。
失敗してもその一瞬にかける勇気が出ました。

本当はもっともっと良い曲なのに、もっともっといい音が出るはずなのに、との思いはあります。
いつかは…という希望は捨ててはいません。

でも、私にとっては、あれ以上の時間はないのではないかとも感じています。

この一音を響かせて頂く。
そこに、私が生まれてからずっとして頂いていること、そして、この瞬間にもして頂いていることすべてが含まれているように思います。

自分がこの自然の中で、周りにいかに助けられて支えられて生きているのか……

心から感謝しております。
そして、もっともっと精進してまいります。
本当にありがとうございました。

2014-10-10

2014年10月10日

音を奏でる身でありながら、一番美しいのは静寂だと思っています。   

自分が一音出すことにより、その美しい静寂をかき消してしまうという罪悪感にずっと苛まれてきました。
弾く前に申し訳なさそうにしていると、よく指摘されましたが、そういう奥底にある気持ちが自分をそうさせてきたのかもしれません。

静寂に音をのせる。
真っさらのものを異質のもので乱す……。
皆んなで共有している美しいものを自分のエゴで穢しているような気がしてなりませんでした。

そして、静寂について考えるようになりました。

静寂を感じるとき。
それは、夜のとばりが下りる頃であったり、しとしとと降る雨を避けて岩陰で膝を抱える時であったり、誰もいない砂浜で海と向き合っている時だったりします。

よく考えてみると、静寂には無数の音が含まれていました。
木が軋む音、葉っぱに雨粒があたる音、風が波を撫でる音。何も音がしないと思えば、耳の中で血が流れる音が強さを増します。

静寂と無音とは全く違うものなのです。
私の奏でる音は、静寂と異質なものではなく、やはり音なのでありました。

その無数の音がなぜ静寂を感じさせるのでしょう。
無数の人間の声は、それがどんなに小さいものでも静寂を作ることはないように思います。

これはすぐに答えが出ることではなさそうです。
でも、その音に自我があるかどうか、ということが一つあるのだと思っています。
自分の存在を主張するような音は静寂たりえないような気がしています。

静寂を自分の音で乱すことを恐れるのではなく、静寂が内包する精神性を学び、その精神性に倣った音を奏でることこそが自分が取るべき道なのでしょうね。

さあて、いよいよ来週はコンサートです。

途上の自分をごまかさずにいられる自分でありますように。
そして、みなさんと心で触り合えますように…

2014-10-02

2014年10月2日

急に弾けるようになる瞬間、それは音が聴こえた瞬間です。

音が聴こえる。

なんてことないようですが、これが本当に難しいのです。
無意識のうちに自ら聴こえなくしている音のある部分を見つけるのは、ないものを探すことと同じで、そもそも探そうという気持ちにまで辿り着きません。

何かの違和感を敏感に察知して、あるのではないかと仮定して神経を研ぎ澄ませていないと出会えないものです。
息を殺してそれを待ち、それがそこにあることに気がつくと、段々その姿が色濃くなっていき、そこに最初からあったものとして存在し始めます。すると、今度は周りの色んな場所にその姿を見つけることが出来るようになります。
そうやって聴こえ始めると、自然とその音が出せるようになっています。

これは音楽だけではなく、さまざまなことに当てはまることなんだろうと思います。
私には目があり、耳があり、舌があり……
でも、ほとんど見えておらず、聴こえておらず、味わえていないであろうことは、音楽でのこの作業を通じて想像がついていることです。

リサイタルを前にして、自分がほとんど気がついていない人間であることを認め、今になっても音を聴こうと耳を澄ませているというのは、私らしく迂遠なことだと苦笑いしてしまいます。

でも、辺境の地に出かけなくても、見たことがないもの、聴いたことがないことに出会える喜びはえもいわれぬものです。

そこにあるのにないものを
そこにあるからあるものに……

2014-09-26

2014年9月26日

私は本当によく道を聞かれます。
自分の丸顔をいいと思うことなんてありませんが、このときばかりは、この丸さが人の恥じらいを軽減するのかしらと、ちょっといいこともあるもんだわと思っています。

先日はお巡りさんにまで道を聞かれました。
ペコペコするお巡りさんを、「お気をつけてー」と送り出したら、なんかおかしくなってしまいました。
道端でモジモジしていたのですが、職業柄、道を聞きづらかったのでしょうね。
私の顔を見たら、聞きやすそうと思ったみたいで、そっと近寄ってきて、「道が分からなくなっちゃったんです」と恥ずかしそうに言っていました。

人はいつのまにか、お互いが望まれる役割りを果たそうと、自らが自らを縛ってしまうというのはよくあることのようです。
別に望まれていることをやろうと思っていなくても、無意識のうちに手足が不自由になっていき、いつの間にかがんじがらめになっています。
「やめてくれー」と周りを見回すと、誰もいません。
皆、遠くで、何やっているの?という顔で見ています。
好きにすればいいのに、って笑われます。

私もコンサートを続けてやっていると、知らないうちに何かの型みたいなものに自らでハマりにいこうとしていることを感じることがあります。その気配を感じると、いけない、いけない、と慌てて踵を返します。

最近は、周りにこう望まれているのではないかという型があるという考えは幻想に過ぎないのではと感じています。
その幻想の型に自ら縛られにいってしまう怖さ… 

その幻想の型は、自分を楽にしてくれるものなんでしょうね。
今の瞬間、自分が取れる選択肢は何千とあったとしても、その幻想にしがみつけば、選択肢は数個に限定されます。何千の選択肢がそれぞれ何千の選択肢を生むことを考えれば、幻想の縛りにかかるのは、はるかに楽なことです。

周りに縛られているような顔をしながら、実は自分が楽をしようとしていると考えると、ちょっと顔が赤くなります。
可愛げとして許してもらいながらも、少なくとも、その恥ずかしさだけは忘れないでおきたいものです。




2014-09-20

2014年9月20日

この時期がやってくると、あー、そうだったそうだった、なんで忘れちゃうのかな、と深く深く反省します。
喉元過ぎれば…とは、よく言ったものです。私の場合は胃が弱いので、実は喉元過ぎても胃のあたりがアツいのですが、それでもやっぱりそこらへんを過ぎれば忘れちゃいます。

毎年、あー、私はこうやって死んで行くんだなとシミジミ思います。
忘れては思い出し、また忘れ…

と分かったようなことを言ってみたところで、本当は死ぬ時のことなんか分かりっこないことぐらい分かっています。
想像力に限界があるからこそ、喉元過ぎれば…になるのですもんね。

私のお気に入りに、一休禅師の辞世の句の一つと言われる句があります。

  昨日まで
     人のことよと 思いしに
  今日は我が身か
      こいつ たまらぬ

友人のお坊さんのの留守中に、そこにあった阿弥陀如来像を枕がわりに昼寝をするなど、アニメのイメージとは違い、豪放で有名だった一休さんのこの言葉には、マイッタマイッタ感が滲み出ていて、思わず手を差しのべたいような気持ちになります。

でも、瞬間に、そう感じる自分こそが、やはりひとごとで感じている証拠であるのだと悟らされます。
この句は、そういう人間の想像力の限界を突きつけるものであるように感じるのです。

そして、八十八歳の一休さんが最期に口にしたと言われるコトバも、ちょっと気に入っています。
人間として生きるのはそんなに悪くないのかもしれないな、という希望を抱いちゃうのです。

「死にとうない」
こんなコトバで息絶えるくらい、私も人生を面白がれるかしら。


2014-09-14

2014年9月14日

『嗟歎』という曲を書いています。
これは『さたん』と読み、嘆き悲しむことを表す語です。
「え!あのサタン?」
「いや、違います違います、悪魔ではありませんよ」
というやり取りをもう何度かしています。

先日も友人がじっと『嗟歎』のふりがなの『さたん』を見ているので、いつものやり取りの心の準備をしていたら、
「え!サンタ?」
っていうので、思わず大爆笑してしまいました。
あんなに悲しい気持ちを表している曲のはずが、頭の中に急にジングルベルが鳴り響き始めて、それもそれで正しいような気がしてきます。

それにしても、皆が眉をひそめるサタンと、誰もが明るい気分になるサンタが、こんなに似ているとは今まで気がつきませんでした。
両方のイメージがかけ離れ過ぎると、言葉が似ていても連想出来ないのですね。

まさかね。
と思いながら、念のため調べたら出てくる出てくる。

12月25日はキリストの誕生日であるだけではなく、悪魔サタンと言われるニムロドの誕生日であり、物欲をなくすように諭したキリストをあざ笑うかのように、物欲に駆り立てるサンタを作り出し、人々を堕落させようとした…

サンタを、特に子供を物欲の虜にする象徴として考えたことなんてありませんでしたが、考えてみたら、幼い頃、クリスマスツリーの下にプレゼントが積み上げられている外国の映像を見て、なんとなく居心地が悪い気がしたのを思い出しました。
私の小さい頃は質素であることを美徳とする傾向が強く、それが自然に身についていたのでしょうね。

それから長い年月が経ち、クリスマスが近づくと私も少し開放的な気持ちになるようになりました。
物欲に身を委ねる快感を知ってしまったのかしら。

人間がそもそも持っている欲を露わにして自分の存在を誇示するサタン。
サンタを登場させてまでそれを突きつけて、人間の欲にしがみついているようにも見えます。
人間の浅ましさを高らかに笑いながらも、それがなくなる日が来ることに恐れおののいているのかもしれません。

そう思ったら複雑な気持ちになってきて、嗟嘆がサタンでもサンタでも大して変わりがないわね、とふたたび箏に向かったのでありました。

2014-09-04

2014年9月4日

困った時の神頼みと、よく言いますが、こちらの身勝手さをあざ笑うでもなく、そういう時に姿を現す何者かにいつも驚嘆の念を抱きます。

昨年のリサイタル前も相も変わらず悩みの多い日々でした。どうしたら良いだろうか、ということを書き出したら、紙の外にはみ出してもいつまでも手が止まらないかのようでした。

特に作曲では頭を抱えていました。リサイタルまであと一ヶ月というのに、作曲の途中で行き詰まってしまったのです。
作っていたのは、「無碍(むげ)」という曲。融通無碍という言い方もありますが、私の自由への思いをこめたものでした。
抽象的な題材なだけに、糸口が見つからず、悶々として時間が過ぎるばかり…

今日こそは、と外出先から戻ってきてポストを見ると、大きな封筒が入っていました。
差出人は、尊敬する人生の大先輩。
「これを読んで頂きたくて…」の短いお手紙に添えられていたのは、ある本の一部分のコピーでした。
読み進めて驚きました。
まさに、私が作曲で考えていた内容についての深い考察だったのです。

もちろんその方は、私が「無碍」という曲を作っていることはおろか、私が作曲中だったこともご存知ありません。
その文章に没入して、考えること数時間。
そのあと箏の前に座った時には、自然と音が流れてきて、深い感謝とともに最後の音を書き留めました。

こういうことに巡り会うたびに、自分は世界の仕組みについて、肝心なことは何一つ分かっていないのであろうということを思い知らされます。
でも、何者かがこうやってたまに知らせてくれるので、何かに守ってもらっているという安心感のようなものがあります。

…と書くとノンビリしているようですね。
実は、そのお知らせを見逃さないよう、キョロキョロしながら、アンテナをぐるぐる回す毎日です。

2014-08-29

2014年8月29日

一日どのくらい練習するの?

こんな質問をされることがあるのですが、毎度のことながら言葉に詰まってしまいます。
別に責められているワケではないのに、言い訳がましい言葉が出てきそうになるのを呑み込んでいるのです。

自分でも呆れるくらい箏が好きなので、空を見ても山並みを見ても、右を見ても左を見ても、だいたい箏に繋がるようなことを考えています。

だったら、ずっと箏を弾いていればいいのですが、ああ弾こう、こう弾こう、と考えるのが長く、楽器を弾き始めるのはだいぶ経ってから…というのは、よくあることです。

世界の巨匠、チェリストのカザルスも、ピアニストのポリーニも、一日八時間とか十時間とか聞くと、そわそわしてきてしまうのですが、そわそわとまず好きな音楽を聴き始めちゃうのです。

もちろんそれは勤勉ではない性質によるものなのでしょうが、段々、単に怠け者だからというワケでもないんじゃないかという気がしてきました。

練習というのは、弾けないところを弾けるようにするという面はもちろんあるのですが、自分が演奏しているのをずっと聴き続けているという意味は決して小さいものではありません。

八時間、カザルスの演奏を聴くのと、八時間、私の演奏を聴くのでは…
カザルスだって納得いく音が出なくてもがいていたと思いますが、前提としての景色の違いは計り知れないほど大きく、本能的にそこにいたいかどうかを身体が分かっているように思うのです。

音楽に対する憧れの気持ちが強ければ強いほどそうであるような気もします。

とは言っても、私も箏を弾き始めるまでの時間が短くなってきました。
背に腹は代えられないということもありますが、実際に弾き始めてから聞こえる「違う違う」という何万回もの心の声が減ってきたのです。

前よりちょっと進歩したということかしら?

出来ないからこそ練習が必要なはずなのに、進歩をしたら前より練習量が増えるというのはなんか矛盾しているような気もします。
でも、身体の声を聞いて生きていると、どうやらそれが自然の流れであるようなのです。

気がついたらそれを長くやっているというのは、身体がその良さを知らせてくれていることでもあるのかもしれませんね。

2014-08-23

2014年8月23日

私はひどい車酔いをする人間です。
それもあって車は見るのもイヤだったのですが、これはちょっと人生を損しているのかもしれないと思い始めて、最近になって車の免許を取りました。

教官の反対を押し切りマニュアルでの教習。
自分が全く知らないことを習得するのにどういう経路を辿るのかというのにも興味があり、日々なにやら実験の様相を帯びてきました。

路上教習でのある日、教官から「電信柱にぶつかりたくないと思った時に、電信柱をじっと見たらダメですよ」のお言葉が。
え!?なんでですか?と聞くと、
「何故だか分からないけれども、電信柱にぶつかりたくないと思って電信柱を見ると、電信柱に近づいて行くんです」

へぇー、そうなんですね、と言いながらもスッキリせずに数日後、狭い道での路上教習でのこと。
左の電信柱が危ないので気をつけなきゃと思って運転していたら、
「ぎゃっ、電信柱に寄っていってますよ」
教官の腰がすっかり引けています。

これか!
ホントだホントだ。
ビビり顔の教官を横目に、ちょっと気の毒に思いながらも、一人で嬉しくなってしまいました。

それが近づきたいものであれ、避けたいものであれ、人は強く意識したものに近寄っていく性質があるようです。

箏を弾いていても、「あ、ここはあそこの絃を間違えて弾いてしまうから気をつけなきゃ」と思ったら、だいたいその絃を間違えて弾いてしまうのもそれかもしれません。

それから意識してみると、普段の生活においても「〜しないようにしなきゃ」と思うと、それに近づいてしまっている自分に気がつくようになりました。
してはいけないとことが頭の中で鮮明にイメージされてしまい、本来の方向性に対する意識が薄くなったことによるのかもしれません。

何が面白いって、人は、イメージしていることに対して持っている価値判断ではなく、イメージそのものの強さに影響を受けるということです。

人生でも多くのことに当てはまるようで、考えているだけで面白いです。

少なくとも、「〜しないようにしなくちゃ」と思わないようにしなくちゃ、とは決して思わないようにしなくちゃ。
あれ!?

2014-08-14

2014年8月14日

リサイタルのチラシが出来ました!
こうやって、チラシを目の前にすると、ムクムクと力が湧いてきます。

今年もチラシ作成は、阿部ちゃんこと阿部耕介さんにお願いしました。今年も心を込めて作ってもらいました。
表のどアップの私の顔は阿部ちゃんが撮ってくれたものですが、阿部ちゃんの「この顔は何かやってくれそうにみえる」の一言に、「何もやらないけどね…」と照れながら、その気になって使ってもらったのでした。

こんなに大きくなるとは思わなかったので、このどアップを見た時にはビックリしたのですが、「何かやってくれそうにみえる」の言葉が妙に気になり、何かやらなきゃマズいんじゃないかという気持ちになってくるのが不思議です。

この時期になってくると、色んな方から、「頑張れー」とか「フレーフレー」とか「レッツゴー」という言葉を頂きます。
こういう言葉は想像以上のパワーがあり、スケート靴を履いて後ろから力一杯押してもらうぐらい、グンとした力を感じます。

まだまだ「こんなところ」じゃないのに、「こんなところかな」と思いそうになる自分の甘さから我に返らせてくれるものなのです。

「こんなところ」が遥か遠くでも、決して決して諦めてはいけない。
一歩でも、いや、半歩でも前へ。
それが私の唯一の恩返しの形でもあるのだから…




2014-08-07

2014年8月7日

「ごきげんよう」
「さようなら」

最近のマイブームと言えば、これです。
これは、朝の連ドラの「花子とアン」でのお別れの挨拶です。

語りの美輪明宏のこれを聞いたとき、その数文字しかない中での表現の豊かさに背筋がゾーっとしました。
私は美輪さんのトゥーマッチさがあまり得意ではなく、遠目で見ている方なのですが、これには完全に脱帽。
それにしても、自分が何に脱帽しているかもよく分からず、それがなんとも歯がゆいのです。

「ごきげんよお」
いやいや。
「ごきげんょう」
似てない。

「さよ〜なら」
いや、違う。
「さよぉなら」
ちょっと近い?
「さょうなら」
全然ダメだ。

というのを、うるさがられながら、毎日繰り返しています。
もう八月になるというのに、なかなか近づけない。美輪明宏、凄すぎる…。
今では、私は「花子とアン」という番組を見ているというよりは、「ごきげんようとさようなら」という番組を見ている気分です。もちろんクライマックスは、最後の数秒。

最近気に入って読んでいる、鴨下信一さんの「日本語の呼吸」で、日本語は頭の文字で音色を使い分けるのが難しく、二文字目で表情をつけると表現が豊かになるのだと書いてありました。それもはっきりとした理由はまだ分からないのだけれど、うまい語り手は無意識にこれをやっているのだとか。

日本語の二字起こし。
四ヶ月目にして大きなヒントをもらい、美輪明宏のを改めて聴いてみました。

あ、「ごきぃげんよぅ」になってる!
二文字目の「き」に軽い揺れが感じられます。

わ、「さよぉうなら」になってる!
二文字目の「よ」に優しい吐息が吹きかけられています。

もちろん全ては美輪さんがこめている心の問題なのだと思っているのですが、ちょっとだけ真似が出来るようになるにつれ、それがいか程大変なことなのかが少しずつ分かりつつあります。

あと三週間で終わり。
脱帽のナゾにどこまで近づけるかしら。

2014-07-31

2014年7月31日

眩しいほどの日差しはなくても、アスファルトを見ると思わずまばたきをしてしまいます。目の奥に感じる微かな痛みに、あの日の太陽を思い出します。

二年前の金環日食。
珍しく太陽の中に月がすっぽりはまり込んで暗くなるということで、世の中はなかなかの大騒ぎでした。
太陽を直に見ると大変危険なのでやらないようにとのアナウンスが盛んに流れていました。

やらないように、やらないように、って言われると、どうしてやっちゃいけないんだろう?という気持ちがムクムク湧いてきてしまう悪い癖を持っている私です。
いつも、「うわ、臭いっ」とか聞くと、どれどれ、どれだけ臭いのか、って気になって、近づいて、「グゥェー。本当に臭い」とやっています。そこでやめればいいのですが、「いやあ、臭かったなあ。あれ、どれだけ臭かったんだっけ?」クンクン、「ぎゃあ、臭いわー」と繰り返してしまうのです。

そんな私に、世の中のメディアが寄ってたかって、「直接見るな見るな」と言うんですもん。
見たくてたまらなくなってしまいました。
めったに拝めないような金環日食、もう一生肉眼で確かめられないかもしれない…。

「今東京で金環日食が始まりました」の声を合図にベランダへ。

うわあ、眩しい!!
思わず目を背けました。もっと指輪のように明るくなるのかと思いきや、眩し過ぎて、肉眼だと真ん丸にしか見えません。
とても直視出来るような明るさではありません。

太陽というのはこんなに明るいものなのだ…
月にほとんど隠されても、隠すものをも輝かせるほどのエネルギー。

そういう太陽に私達は生かされているんだということが、急に大きな意味を持って迫ってきて、妙に感激してしまい、その姿を確かめたくて、目を伏せては目で見てを何回も繰り返し、その感激を身体の奥にまで染み込ませていました。

……案の定その後、激しく目が痛くなりました。そのうえ凄まじい頭痛に襲われ、三日間ほど寝込んでしまいました。

隠すものをも輝かせる明るさ。
自らを隠そうとするものをも輝かせるエネルギー。

痛みにうなされながら、そんな言葉が頭の中でこだましていました。





2014-07-24

2014年7月24日


演奏の準備というのは、遠足の持ち物の準備とは違い、目に見えない部分に頼らざるを得ません。
特に邦楽では、楽譜を用いないことが多く、頭の中に入っているものを引き出していくことになります。それは出たとこ勝負的なところもあります。自分のことでも、どうなるかわかりません。
こういう不安定なものを頼りにしていると、記憶ということについて考える機会が多くなります。

私は一歳くらいから記憶があるのですが、その頃の記憶には決まって不安や恐怖が伴います。

高い高いをされて、天井が迫ってくる恐怖。
こちょこちょをされた時の、あの痒みとも痛みともつかない気持ち悪さと、迫ってくる大人の顔の不快さ。
遠くからサイレンの音が聞こえてきた時の、身体の奥底から湧き上がる不安。
犬に追いかけられて泣き叫んでいるのに、大人に全く相手にしてもらえない虚しさ。

もっと大きくなってからは嬉しい記憶も付け加えられていきます。
雲が流れていくのが美しかったこと、ススキの穂が夕陽を受けて眩しいほどであったこと、焚き火の輪郭の後ろの景色が揺らめいていたこと…

とにかく心が大きく動くということが記憶と大いに関係するような気がします。
そして、何を記憶しているかということから、実は当時自分が何に心を動かされていたかが分かり、面白いところでもあります。

よく、年を取ってきて記憶力が落ちるといいますが、脳の機能が落ちるからだけではなく、むしろそれ以上に、この心の動きの振幅も減ってくるからかな、なんて想像しています。

心を大きく動かして生きていくこと。それが記憶への道でもあるし、生きている実感を手にすることにも繋がっていくのでしょうね。

それにしても、幼児の頃の記憶に縛られて、いまだに赤ちゃんを高い高いすることも、こちょこちょすることも出来ません。
記憶に縛られ過ぎると自由ではいられなくなるのかなと最近うっすら感じています。
高い高いとこちょこちょが好きな赤ちゃんも沢山いるはずなんですよね。

良きにつけ悪しきにつけ、記憶によって作られていく人生。
何が出てくるか分かりませんが、出たとこ勝負で楽しまなくちゃ。


2014-07-16

2014年7月16日

隣は鬱蒼としたバラ園でした。整地されることなく雑草が生い茂っているその空き地は、ある時期になると芳しい香りが充満し、そこがバラ園であることを思い出させるのでした。幼い頃の仙台の空き地もそうでした。秋になると萩の花が咲き乱れていたものです。

二ヶ月ほど前、低音のドドドという音と共に隣の空き地は掘り返され、あっという間にコンクリートが敷きつめられてしまいました。そして、その地には数日でコンビニの建物が建ちました。

こうだったんだ…
ずっと謎だったことが解けました。

幼い頃、私が住んでいたところは仙台のはずれでした。
裏には山が広がり、沼がいたるところにありました。横は田んぼで、あぜ道を歩くと、春には山菜、初夏には蛍に出会いました。

この山の向こうに何があるんだろう。枝を手にして、幼なじみと二人でよく探険に行きました。どこまで行っても深い山で、結局怖くなり帰ってきたものです。

それが、しばらくすると、山がなくなり、森がなくなり、田んぼがなくなり…。今、そこは見渡す限りの住宅地で、広くなった仙台の中心地にほど近いところとなりました。

あの山や田んぼはどこに行ってしまったんだろう。先日も幼なじみと首を捻っていました。それらはある日忽然と消えてしまったようなのです。

ドドドという音を聞きながら、思い出しました。
山が削られていく風景、谷の木々が切り倒されていく風景、田んぼが埋め立てられていく風景…

大好きな山がなくなる切なさと共に、悪いことに加担しているような不安。
何かいけないものを見るようで、目をそむけて、何もなかったかのように振る舞う自分も思い出しました。

今考えてみれば、私が仙台のはずれに住んでいたということは、私自身も山を削った跡の地に住んでいたということなのです。私も山を削った側の人間だったのでした。
幼い私は無意識にそれを感じ、あの風景を見えないところに追いやっていたのでしょう。

こうやって様々なものに覆いをして生きていくんだ…

空き地に面していた寝室は、コンビニの煌々とした灯りで、夜も明るいままです。
カーテンの上に分厚い布をかけて覆った窓を、複雑な思いで眺めています。
 

2014-07-03

2014年7月3日

その日はへとへとでした。

「疲れ果てているから『いろはにほへと』の『へと』なんだとしたら、現代語で言えば『えおえお』かしら。いや、ここまで疲れてたら『をんをん』だなー」

どうでもいいことを考えて気を紛らわせながら、最後の力を振り絞ってスーパーへ。
レジに辿り着く頃にはエネルギーはゼロになっていて、喫茶店に入ってエネルギーチャージをしなければ帰れないほどになっていました。

そのとき、困っているような気配が。目をやると、女の人が歩きながら何かを探しているようでした。私と同じような年頃でしょうか。身体の動きが不自由そうです。
すると、製氷機の前で立ち止まり、今度はずっと眺めています。初めて使うタイプなのか、右から見て左から見て、下にかがんで…

さて、どうしようかな、と一瞬考えました。
若い方で身体が不自由な方独特のキリッとした感じがあります。ご自分で解決したいのかもしれない。話しかけないでほしい、そんな空気に包まれているようにも見えます。
周りは皆、見ないフリを決め込んでいます。

しばらくしてもまだ製氷機を眺め回しているので、嫌な思いをされませんようにと祈りつつ、「氷をお取りしましょうか?」
怪訝そうに振り向いた顔が、フワッと柔らかくなり、「でも、悪いわあ」
ホッと一安心して、「とんでもないっ」
よく見ると、両手を使って力一杯引かないと開かない扉と、「袋は後ろのレジ台のをお使いください」の文字。杖を使う方には大きな関門がいくつかありました。
むしろ声をかけるのが遅かったのだと恐縮する私に、その方は動きづらい身体で振り返ってまでお礼を言ってくれました。

その方と別れた後、身体にエネルギーが戻っていることに気がつきました。荷物を持つ手には力が漲り、足は前に出ようとしています。それは不思議なほどの違いでした。
おそらく、その方が感謝の言葉と共にくださったものだったのでしょう。氷を取るなんて、本当に本当に些細なことだったのですが、その前にエネルギーがゼロだったので、その前後の違いに気がついたようなのです。

こうやって私は生きていられるんだなあ。人からエネルギーを頂いて生きているんだなあ。

喫茶店に寄る必要もなくなり、『をんをん』だった私は、『あいあい』な気分で帰途につきました。
「あ、始まりが『あい』なのは悪くないな」と、やはりどうでもいいことを考えつつ…







2014-06-25

2014年6月25日

今年もgu-rilaライブやります。
7月26日6時より、神楽坂のgleeというライブハウスでやります。

グリラライブ、という響き。ゲリラライブにも、ゴリラライブにも似ていて、ちょっと気に入っています。たまに、こそっと混ぜてみたくなります。

gu-rilaは、ピアノ、ヴォイス、箏、二十五絃箏の四人に、いないと困るゲストのパーカッションを加えた、ほぼ五人編成です。

自分がやっておきながら言うのもなんなんですが、昨今の和洋バンドの迷走っぷりには頭を抱えるものがあります。本当にその楽器は必要なのか、今のその音は必然なのか…と考えると、そうとは思えないことが多々あるのです。

では、自分でやるとどうなるか。
…やっぱり迷走しています。

何千年もの歴史を積み上げてきた洋と和の楽器。それぞれを更に輝かせるための使い方というのは、数年数十年で解決がつく問題ではないのでしょう。

でも…
百五十年程前に思いっきり西洋の方向に舵を切った日本。そんな短い時間しか経っていないというのに、今の私達の中には、日本の血と西洋の感性がなんのわだかまりもなく入り混じっているように感じます。

それに対して、楽器は、その血を守ろうと殻を作っているような気がしてなりません。楽器は楽器としての完成度を高めようとすると、どんどん排他的になっていくようなのです。

その純化していくものに心惹かれているのは確かなのですが、それにしても、人間というのは、なんとおおらかなものなのでしょう。変化を受け入れ、形を如何ようにも変えるように思います。

結局は、楽器ということに主眼を置く限り、迷走状態は続くのかもしれません。
そうではなく、様々なものが自然に共存している人間というものを、もっともっと面白がる中で、道が見えてくるのかもしれません。

ゴリラライブ、どうなることでしょうか。
…あ、気がつきましたか?

ご興味ある方はこちらをご覧くださいね。
 http://satoyasuko-koto.com/box/information.html


2014-06-19

2014年6月19日

自分の持ち物のはずなのに、とても遠く感じるものの一つに脳みそがあります。
手足なら直接見られますし、顔は鏡を通してだいたい把握できますが、自分の脳みそは、おそらく一生見ることも触ることも出来ないでしょう。

例えば見られないにしても、心臓は上から押さえるとドキドキいうし、胃はお腹いっぱいになればプクッと膨れる。
でも、頭が痛くなったといっても、どうも脳みそが痛くなっている気がしません。そもそも、脳みその存在を認識しようにも、認識する手段が脳みそなのですから…。

そんなことを考える私ですが、ある時から脳の働きを強く実感するようになりました。

ある日、箏の練習に疲れ、本を読み始めました。大江健三郎の「宙返り」です。なかなかに分厚い本でしたが、夢中になってしまい、結局丸一日かけて読んでしまいました。
そして、その次の日、いつものように箏を弾こうとしたら、ものすごい違和感があり、不思議なくらい箏が弾けなくなってしまったのです。明らかに頭の使い方が違うという感じなのです。なんというか、いちいち意識してしまい、スムーズに前に進まないのです。

それはほんの数時間のことでありましたが、それまでもうっすら感じていたことが、その凝縮した状況のせいか、意識のレベルまで押し上げられてしまったようです。
これが左脳優位の頭の使い方かしら…?

逆に、リサイタルの後などは、文章を書くのが困難になります。条件反射としての会話は問題ないのですが、いざ文章を組み立てようとすると、言葉がうまく出てきません。頭を励ましつつ、手でグルグルと充電器のハンドルを回しながら一語一語絞り出すといった感じなのです。

それぞれの場合、頭の疲れ、という表現をすれば、それはそれで納得出来そうです。でも、それだけでは、その時に出来ることが異なるということの説明がつきません。

気づいた当初は、それを不自由だと感じ、どうにか克服しようと思っていました。
でも、最近では、諦めがつきました。それが人間ですもんね。

それからは、それをどうにかしようと抗うのをやめ、画集ばかり観たくなれば、「はい、あなたはそういうモードなのね」、本ばかり読みたくなれば、「はい、今度はそっちね」と、面白がるようになりました。

ちょっと人ごとみたいですね。

2014-06-11

2014年6月11日

雨の音に家の中がひっそり静まりかえっているのを感じます。
この静かさがやってくると、息をひそめたくなります。ちっちゃなちっちゃなことが通り過ぎて行くのです。

「蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」

これは私の好きな変人、画家の熊谷守一の言葉です。

角張った丸みを持つ輪郭からなる昆虫や植物を、板の上で色付けしていく。
そもそもは貧乏ゆえでしたが、その粗い愛らしさは、美術館に並ぶ立派な顔をした絵の中で、独特の光を放ちます。

絵を描くより自宅の庭に遊ぶのが好きだったそうで、とにかく庭の虫や草木を眺め続けました。晩年三十年は家を出ることもなかったといいます。
それを乱されたくないあまりに、来客が来たら困るとの理由で文化勲章も辞退したほどです。

この生活の中からの発見。
蟻の左の二番目の足の動き。
これを小さなことと見るか、大きなことと見るか…。

小さなものに潜り込んで潜り込んで行った先で辿り着いたところ。
そこで見る景色。
私は底知れぬ大きさを感じるのです。







2014-06-05

2014年6月5日

夢から深層心理を推測することはよくあることだと思いますが、それはあくまで夢を夢として離れて見ているからだと思います。

夢と現実はどう違うのかしら?
私はそれにいつも頭を悩ませます。
結局よく分からず、夢と現実の境目をつけないが故に、夢の中でも真剣な振る舞いになります。

私が鳥になって、この世の果てを見に行った時は、そこではグリーンカレーの海が渦巻いていました。
その先はプツッと切れており、すごい勢いでカレーも空気も吸い込まれていきます。戻ろうにも熱風に煽られ、止まろうにもどこに着水したら良いか分からず…。困惑して、必死で羽ばたかせながらも、世界の秘密を知った喜びにほくそ笑んでしまうのでした。

きつねうどんを作ろうと思いたち、まずキツネ狩りに出かけることにしました。森を走り回ってもなかなかキツネが捕まらず、そのうちに日も暮れてきて、諦めの気持ちが湧いてきました。べつに、きつねうどんじゃなくても良いのではないか……葛藤に苦しみつつ、動かなくなってきた足を引きずりながら、キツネの姿を追い求めるのでありました。

夢と現実の違いは、それが寝ている時に起こったか否かによるのかもしれません。でも、寝ているかどうかの判断自体が夢でなかったとは言い切れないところもあり、話はややこしくなります。
また、事実としてあるもの、そして周りで起こる物事にどう対応して、どのように物事が流れていくかということを現実だとすれば、夢と現実の違いはだいぶあやふやになります。

だから、私は夢を客観的に捉えることは出来ないようなのです。どれも人生での貴重な経験です。

この世の果ての秘密をばらしちゃいましたね。

2014-05-28

2014年5月28日

どうでも良いことのようで、実は見過ごせない問題をはらんでいることがあります。

以前、道を歩いていたら、前から足取りがおぼつかないおばあさんが歩いてきました。隣に娘さんらしき人がいて、ずっと支えながら歩いています。

歩くのも大変そうだなあ、娘さんお優しそうだなあ、と思っていたその時、そのおばあさんが私の顔を見て、震える手で私を指差しながらモゴモゴ言っています。
お具合でも悪いのかと、「大丈夫ですか?」と駆け寄り、娘さんも「どうしたの?」と肩に手を回しています。

「…ボ、ボタンが…」
ハッと自分の服を見たら、ボタンが一個ずつズレていました。
おばあさんは私のボタンの掛け違いを教えてくれていたのでした。

顔を赤らめてお礼を言う私に、
「…フ、ファッションかと、お、思ったんだけど…」
と、ものすごく気を遣ったお言葉。
大丈夫かと心配していた自分に恥じ入るばかりです。

そう、私の得意技は「ボタンの掛け違い」です。
ボタンがあるものは、かなりの確率で掛け違います。

久しぶりで会った友人に、開口一番、「やっちゃん、ボタン!」と指差しで言われたこともあります。

先日も指摘されて見た時、カーディガンの一番上のボタンを一番下のボタン穴にかけていて、自分のことながら呆れ果てました。

普段からうわの空でやることが多いのでしょうね。
いつも考え事をしているから、と笑って誤魔化していますが、皆が当たり前のように出来ることがなんで出来ないのでしょう。

物事がうまくいかなくなる原因として、「ボタンの掛け違い」という形容をよくします。
些細なすれ違いから端を発して、悪い結果が生じる時に使いますが、よく考えてみると、物事がうまくいかない時は、これが当てはまることが多いような気がします。

まず一つ目のボタンなのでしょうね。

膨大な手続きを無意識にこなす日常生活でも、一つ目のボタンさえきちんとかけられれば、残りはトントンと正しくはまっていくはずなのです。
私は物事の出だしに対する意識が薄いということなのでしょう。

あのおばあさんが「物事を始める時には心を入れてね」と教えてくれたと思えば、もうちょっと気をつけられるかしら。


2014-05-22

2014年5月22日

終わりがそこにありました。

人形浄瑠璃文楽の太夫の竹本住大夫さんの引退、その日がやってきてしまいました。
八十九歳での引退という人間離れしたものでしたが、生きている限り語り続けるのだろうと信じているところがあっただけにショックでした。八十九歳の引退が予想外である、という一事だけでも、それまでの生き方は推して知るべしです。

私も邦楽をする者の一人ですが、文楽での語りは、他の邦楽のジャンルと一線を画するような激しさがあります。
ある意味無機質である人形に対して、生々しく情を唄いあげます。裸での演奏です。いや、演奏、という言葉も不似合いなくらい、魂と直結した行ないです。

その言葉が上っ面のものにならないように、太夫はお腹に重りを下げて、爪先立ちで座り、肚に力を入れます。
一音発するにも鬼気迫るような語りは、邦楽のあるべき姿を考えさせるものです。

住大夫さんの語りには、深く頷きたくなるような力があります。
悪声な上に物覚えも悪く、師匠に叱責される日々だったそうですが、師匠が及び腰になるほど稽古を重ねたと言います。文楽が好きでたまらず、もっと良くなるはずとの一念で作り上げてきたのです。
八十七歳で脳梗塞になって、泣きながらもリハビリを続け、舞台に復活したのは、若い頃からのその一途さと執念の賜物だったのでしょうか。

不器用を自認する住大夫さんの凄味のある語りに、不器用な私は物言わぬメッセージを受け取り、それを励みにしてきました。

まだまだ現役でいけるだろうと思って劇場に向かった私ですが、行きで目にした緑の鮮やかさのせいか、対面した住大夫さんの姿に、やはり引き際がやってきたのだと瞬間に悟らざるを得ませんでした。

終わりは頭で理解するものではなく、そこにあると感じるものなのだということも分かった時でもありました。



2014-05-14

2014年5月14日

今年ももう半分の終わりが見えてきました。終わりは始まりの予感を含むもので、なにか駆り立てられるものがあります。

いよいよ秋のリサイタルに向けて動き出す時がやってきました。
どういう空間で聴いて頂きたいか、そして、自分がどこで演奏をしたいか。あちこち探し歩いたのですが、先日伺った「求道会館」の佇まいに心惹かれ、その場でお願いし、快く承諾して頂きました。

求道会館は、百年程前に近角常観師が、西洋の宗教事情を踏まえつつ仏教界の刷新を目指し、その説法の場として建てた建物です。建築したのは、ヨーロッパ近代建築を取り入れながら古建築修復にも力を入れた、当時の新進気鋭の建築家武田五一氏です。

新しいものにしても古いものにしても、モノに対する人の思いは目に見えるものだと信じている私ですが、この建物に足を踏み入れた時に、それが色濃く見えた気がしました。

近角常観師は、アインシュタインが日本を訪れた際に対談し、仏教の心について触れ、アインシュタインは涙を浮かべてそれを聞いたという話が残っています。
「神とは人間の弱さの表れにすぎない」との書簡も残っている無神論者のアインシュタインですが、仏教に根ざす日本人の慈悲の心に触れられたことが日本での一番心に残る出来事だったと述べています。

求道会館は文京区の本郷にあるのですが、今までその存在を全く知りませんでした。
長い間眠っていたその会館を、ご子孫の建築家ご夫妻が時間をかけて修復され、十二年前に蘇らせたそうなのです。

私が建物に踏み入れた時に感じたあの空気は、若かりしの宗教家と建築家の熱い思いと、そしてそれに敬意を抱くご子孫の方々の思いだったような気がします。

階段の手すりが好き、って言ったら、その温かみが少し伝わるでしょうか。

私はその空間で何ができるかしら?
十月十八日。心して取りかからねばなりません。







2014-05-07

2014年5月7日

めったにお目にかかれないような飴細工が見られるということで、大国魂神社のくらやみ祭りに行ってきました。

神霊は人目に触れてならないというこのお祭のメインイベントは夜に行なわれるのですが、それよりずっと前の真っ昼間にも拘らず、飴細工師の坂入尚文さんの屋台の周りは人で賑わっていました。

かっぱ、ねこ、へび、たこ、ねっしー、ごじら…などと書かれた札が上にかかっています。
その下から、ちょっと怖そうな細長い顔が見えました。無愛想なその雰囲気におそれをなしているのか、親に連れられた子供たちは、親の手をしっかり握りながらも、その手から生みだされるものに釘づけです。

お父さんにせかされて、前の女の子がお父さんの耳元で「ペンギン」と言いました。
飴を作りながら、「ペンギン、何色がいいかい?女の子だから、ピンクかい?」
優しい声です。
モジモジしている女の子に向かってお父さんが「ペンギンなら青だな」と言うと、女の子は一生懸命首を振って、思い切って「ピンク」と口にしました。

缶の中から白い熱い飴を指でつまみ、紅の色を混ぜ合わせてピンクの玉を作って、棒にくっつけます
「熱くないの?」の声に、
「熱いさ。指紋なんてなくなっちまったよ」
皆が息を詰めて見守る中、冷めないうちに、指や鋏をキュッキュッと使って、頭が出来、足が出来…つぶらなおメメを入れて、
「はいよ」

音楽と美術の大きな違いは、時間とともに消えゆくものかどうかだと思っていましたが、飴細工は、体内に入れて消えゆくものとして、音楽に近いのかもしれない…

連れの一人が海老をお願いしました。
「エビかい。面倒だなあ」
目のふちが笑っています。
「今日はエビフライにしちまおうかなあ」「こうやればしまいだよ」
細長くした飴の尾っぽだけをクイッとしています。
そこをなんとか、と頼みこみ。
そこから早業で、足が生え、頭のトゲトゲが出来、口がピョンと割れ、
「はいよ」

坂入さんは「間道」という本を書いていて、そのテキヤとしての人生を綴っています。言葉一つとておろそかにしていないその文章からはその生き様が伝わってきて、居住まいを正されるとともに、その文章から漂ってくる香りに足を崩したくもなります。
自分も音楽とともにどのように生きていくか。いや、音楽とか美術とかそんな分類自体バカバカしいのかな。

一回その場を離れたら、あまりの人混みで自分の飴は作ってもらいに行けませんでした。
一口舐めさせてもらったその飴は、飴から手作りしている混じり気のないもので、遠くからそっとやってくるような甘さでありました。

2014-04-30

2014年4月30日

「あ、バカになっちゃったんだね。なかなか治らないんだよねー」
と言って、人を怒らせたことがあります。

相手が怒ってしまったことにビックリして、「だって、ほらほら」と、そこを指差すと、ますます怒ってしまいました。
私は心配して言っているのに相手が本気で怒るということに心底驚き、しどろもどろでやり取りしているうちに、やっと、『バカ』という言葉が不適切であったことに気がついたのでした。
東京に出てきて間もなくの頃です。

宮城では目に出来るものもらいのことを『バカ』と言います。
私は目のものもらいを心配して声をかけていたのですが、客観的に見たら、相手の顔を指差しながら罵倒していたわけです。
そのとき、訛り以外の地域性で意識しておいた方がいいことがあると知りました。

私が生まれ育った地域では、セイタカウコギのことも『バカ』と言います。
その黄色い花が秋になるとチクチクしたものになり、服にくっつきまくります。それをぶつけ合って、くっついたのを必死ではがしながら、まだくっついている人を指差して「バーカバーカ」と言い合うのです。
これは色んな地域にあるようですが、私の地域ではかなり激しく行われていたように思います。

そんなこともあってか、私は「バカ」と言われてもほとんどこたえません。「そうなのよー」ぐらいなもんです。
よく言われることですが、関西人は「アホ」には寛容ですが、「バカ」には神経過敏です。

私が怒らせたその人は関西人でした。
「バカじゃなかったら何て言うの?」の私の問いかけに、「関西ならメバチコだけど、普通はものもらいだろ」と言いました。
…ものもらい!
蝦夷に生まれて差別に敏感な私にはそちらの方が納得いかなくて、なんでやねん、と思ったのでした。



2014-04-23

2014年4月23日

今まで行ったライブ、コンサートの中で良かったのは何?と聞かれたら、まず、カッワーリの王者と言われるヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの名前が頭に浮かびます。
もう十五年以上も前に行った彼のコンサートは記憶の中で色褪せることはありません。凄まじいものがありました。

カッワーリというのは、イスラム神秘主義の儀礼的な宗教音楽です。
ヌスラットが車座になった男の人達の手拍子の中で天に向かって声を発しながら高揚していく姿は、自然でありながら自然を超えた存在であると感じさせるものでありました。
あぐらを組むように床に座ったまま歌うのですが、腰から下が巌のようで、地から柔らかい上半身が生え、まさしく豊穣、という言葉が頭をよぎりました。その顔はあくまでも厳しく、曲が激しくうねる中で静かさが増すようでした。

特に、唯一神アッラーを讃える歌は、イスラム教信者ではない私の身体の奥深くにまでも届き、細胞一つ一つに訴えかけてくるようでした。
声が響く空間の粒子と自分の身体を構成する粒子とが混じり合い、自分の境目がなくなった中での、生かされているという凝縮した実感は、喜びとして痛いほどでした。

神に近づこうとする祈りの歌は、心を開いて近づいていくゆえの生々しさがあり、それが聴く者の心の形状に合わせてぴったり張りつくのかもしれません。

こういうことを人は出来るのかという驚きは、今でも私を突き動かすものとなっています。
思い出すたびに、自分がやっていることの陳腐さに顔を歪めながらも、一縷の望みを繋いでくれるものとして、いつまでも心から離すことが出来ないものなのです。

2014-04-17

2014年4月17日

人差し指ってとっても気になります。
コトバ通り、人を指すとなったらまず誰でも人差し指を使います。ただ、人を指す指なら「人指指」にしてもいいと思いますが、ややこしくなるのでやめたのでしょうね。
国によってのジェスチャーの違いが話題になることがありますが、何かを指す時にこの指を使うのは共通であるようです。

箏でうまく弾けない時、人差し指がフニャっとなっていることに気がつくことがあります。そこで人差し指にエネルギーをこめると、なぜか弾けるようになるのです。
人差し指にはどんな役割があるのだろうとつい考えてしまいます。

つい先日も、九品仏の浄真寺の阿弥陀如来像を見ていたら、人差し指が力強い。
古来インドでは手の形で意志を現す習慣があったらしく、 仏や菩薩が手指で示す印の形のことを印相と呼び、それぞれ意味を持たせていたそうです。
浄真寺の阿弥陀如来も、伸びているか、親指と輪を作っているか、どちらにしてもエネルギーに満ちた人差し指なのです。

どうして人差し指であるのか。
試しに、腕を伸ばして、指を広げてひらひらと振ってみました。
指先があちこち行くのに、人差し指だけははっきり目に見えます。周りがグルグル回るのに人差し指が動かない。なんか、北極星を取り巻く星の軌跡みたい…。

そうか、人差し指は手の北極星であるのか。
手が自分の位置を知る道しるべ、それが人差し指なんだろうか。そして、意志のかけらから身体の動きが成り立っているとすれば、意志の道しるべでもあるのかもしれない。

そんなことを考えると、私の短い人差し指も凛々しく見えてくるのです。

2014-04-09

2014年4月9日

先日、所属する松の実會の九十周年記念の演奏会が国立劇場で行われました。
下は二歳から上は九十歳を超える方まで、人間の凡そ全ての年齢層が網羅されていて、そういう方々が箏とどういう向き合い方をしているのか、そしてどういう生き方をされているのか、学ぶことの多い一日となります。

自分も何曲か演奏するのですが、一番楽しみにしているのは、ぐっと年齢層が高い方々の古典曲です。
箏の古典曲にはほとんど唄がつきます。二十分位の長い曲が多いのですが、最初と最後、場合によっては真ん中にも唄がつきます。
その唄になんとも重みがあるのです。

唄に重みがある?
私達がやっている地唄では、今よく耳にする歌謡曲と違い、一つの文字に一つだけの音を当てはめるようなことはあまりしません。母音だけを延々と伸ばしたり、その母音のまま上がったり下がったりします。
例えば、「夢が」一つ言うのに、「ゆめがアーーー、ーーーーーーーーー」と、このぐらい引っ張ります。
そうなると、最後の方では、「あれ、私はなんでアって言っているんだっけ?」てなことになってしまうこともよくあります。

地唄は低い音程で唄われることが多いのですが、私は高い声なので声が出づらい上、途中で意味が分からなくなってしまう事態に至っては、私の唄は本当にアホみたいになります。

とは言っても、私だけではなく、やはり若い人の唄には、声の良さ以外の良さを感じづらいように思います。

声の重みというのでしょうか?
「ゆめがアーーー、ーーーーーーーーー」の、「アーーー、ーーーーーーーーー」だけで、「なるほど、そうですか、そうですか」と言いたくなるような説得力があるのです。

昔、大平さんが「アー、ウー」と言うのを揶揄する向きがありましたが、私はあの「アー、ウー」が好きでした。
今考えると、あの「アー」の間に、今まで経験したことの中から選ぶべき候補となる言葉が頭の中に流れ、「ウー」の間に、それのどれを選択するかの判断の基準が頭の中を流れ…。つまり、とっても沢山の言葉が隠されている雄弁な「アー、ウー」だったのじゃないかと思います。
思慮深いからこその雄弁な「アー、ウー」。それを子供ながらに感じて敬意を抱いていたのかもしれません。

年齢を重ねてくると言葉が出づらくなるのは、一つの言葉を選択するにも、今まで経験したそれに関する事柄が無意識のうちに押し寄せてくるからじゃないかと思っています。ですから、選択した一言の背後には沢山のものがくっついていて、それが言葉の重み、声の重みを感じさせるような気がするのです。

古典の唄もそうなのかなと思います。
「ゆめがアーーー、ーーーーーーーーー」の間に、今までの人生で経験した夢に関することがひとしきり流れるのかもしれません。その思いの量を考えると、以前は伸ばし過ぎだと思っていた音の長さも、人生の先輩方には必要な長さなのかもしれないと思うようになりました。

そして、自分も、それが聴き取れるようになる年齢になるまで生かされたことを、心からありがたいことだと思ってしまうのです。

2014-04-02

2014年4月2日

この時期に散歩をすると、ここにも桜があったのか、という宝探しみたいな楽しみがあって、首があちこちとせわしないです。まだ強く吹く春風に揉まれて歩いていると、休憩のための散歩のための休憩が必要になります。

今日も公園の柵に座って一休み。
少し向こうには林や遊具があり、目の前にはぽっかりと空いたような四角い地面が広がっています。
ずうっと上ばかり見ていたので気がつかなかったのですが、春のうららかさにそぐわない落ち葉がまだ散らばっているのでした。

ふわっと空気が動き、サーッと風の音がすると、葉っぱがスワーッと舞い上がります。風音に合わせて落ち葉が舞い上がるので、音楽に合わせて踊る女の人のスカートの裾のよう。

…そういえば、箏曲で「落葉の踊り」という曲があって、それを弾く時はいつも秋をイメージしていたけど、実は違うのかしらん。
葉が落ちる晩秋には台風はおさまっているし、冬は空気が動かない。実は、春の曲だったりして。

…それにしても、風が吹く度に舞い上がる葉っぱって、決まってるみたい。
微かな風で地面を這っていく葉っぱもあれば、どんな強い風でも動かない葉っぱがあるわ。意地を張っているのかしら。
それにしても、あの一枚の葉っぱはよく動き回るわね。意志があるみたい。

またサーッと風の音がしたので、その葉っぱがどうするのかをよく見ようとしました。

「うわあー、待ってーー!」
と突然大きな声がしたと思ったら、男の子が飛び出してきて、その落ち葉を追いかけ始めました。
風がサーッ、葉っぱがスワーッ、「待って、待ってー」。
その四角い地面の上で、すごい勢いでその落ち葉と鬼ごっこを始めました。目が回りそうです。
サーッ、スワーッ、「うわあ、待ってよ、待ってー」

私はその落ち葉の動きを面白いこととして離れて見ていて、男の子は落ち葉と面白いことをしている。
この違いはなんだ、と男の子に目が釘付けです。

風がおさまったら、その男の子は、先がクルクルと丸くなっている長い木の枝を探してきて振り始めました。
長い枝がビヨンとしなった後に、先のクルクルのせいか、ビヨヨンと変な動きをします。ビヨンビヨヨン、ビヨンビヨヨン。
どこでこんな面白そうなの見つけたんだろう。

今度は、くの字に曲がった短い棒を見つけたようです。ビヨンビヨヨンを左手に持ち替えて、右手でその棒を投げ始めました。くの字といっても、三分の一くらいのところで曲がっているので、ガクガクッと不思議な軌道を描いて落ちていきます。拾っては投げ拾っては投げ…。私も一回でいいから投げてみたくなります。

と思っていたら、小高い丘の上からすごい勢いで駆け下り始めました。加速がかかるのが面白いらしく、登ったら一回止まり、力を抜いて足を踏み出し、勢いがつくままに突進していきます。転んでビヨンビヨヨンが突き刺さるんじゃないかと心配になりますが、関係ないようです。
向こうの遊具で遊んでいた子供達も後に続き始めました。でも彼らは頂上で足を止めるでもなく、単に駆け下りて、途中で力を入れて足を止めています。加速ということに興味を持っているわけではなさそうです。

この遊び方の違い。
この男の子だけは、重力とか遠心力とか、物理的な現象を当たり前のこととせず、身体で面白がりながら繰り返し繰り返し反復していました。
ああ、意志の力と関係ない部分で、地球に住んでいるこの身体の使い方を、こうやって掴んでいくんだなあ。

いつの間にか男の子の姿が見えなくなっていました。
またしばらく考えごとをしていたのですが、さすがにお尻に柵の跡がつきそうなので、さて、帰ろうかと立ち上がろうとしたとき、左の茂みがガサゴソ。
その男の子が出てきました。まだ手には先がクルクルの長い枝。
ビヨンビヨヨンと振りながら去っていきました。

おっかしくなり、「私も身体で楽しまないとなあ」と、周りに誰もいないことを確認して、久しぶりに軽くスキップをしながら歩き始めました。

あれ?
邦楽でいつも処理に困る、えーらやっちゃえーらやっちゃ、ヨーイヨーイヨーイ、の「ヨーイヨーイヨーイ」の時のようなハネるリズムとそっくりかも。
ジャズのスイングも、こんな感じ?
歩くのから、楽しくなって身体が弾んできてスキップを始める感じのリズム?
そして、それに勢いがついてくるかでそのハネ方が変わる?

男の子に大きなヒントをもらい、気持ちが弾んできて、スキップのハネが大きくなったのでありました。



2014-03-26

2014年3月26日

強い風に押されながら、春という季節の持つエネルギーに負けまいとしています。物事が動き出す気配が大きなうねりとなって空気を揺り動かし、迫ってくるようです。

幼少の頃は、春は柔らかく、薄桃色のイメージでした。学校で教わる春のイメージの集合体はそういうものだったと思います。
それを真に受ける私もなんなのですが、「オトコオンナ」と呼ばれるような私には、そんな優しい春はモゾモゾするものでした。

歳を取ってきて、あれっ、と思うことが増えてきました。
花見に行ったら雨風でおちおちお団子も食べられなかったわ、とか、傘がひっくり返ったからまた買わなくちゃ、とか、昼間の暖かさに調子にのったら風邪をひいちゃった、とか、なんかお葬式が多いかも…、とか、一筋縄ではいかない春が見えてきました。

人も生まれる時はあんなに苦しんで出てくるのですから、芽吹く時期の苦しみもさもありなん。
今は春の嵐もそういうものとして受けとめるようになりました。

ところで、昔は、「さくらさくら」にどう気持ちを込めれば良いのかよく分かりませんでした。
日本人なら春にこの歌を歌いたくなるでしょ、という押しつけがましさはまだしも、メロディが、安っぽいビニールで出来た桜の飾りのように能天気過ぎるような気がしたのです。

箏を弾くようになり、「さくらさくら」の音階が、学校で習っていたのと違うのだと気がつきました。
例えば、「やよいのそらは」の「い」と「は」は、習っていたのよりちょっと低い音程です。「みわたすかぎイり」の「わ」と「す」と「イ」もちょっと低くします。
歌ってみると分かるのですが、このちょっとのことで急に陰影が出ます。

明治に入って、西洋の楽器で演奏したために、元々の歌のニュアンスが喪われてしまったのですね。
本来の音階で聴くと、桜の匂いと、散りゆくものを思う切なさが混じり合い、何に対してか分からない愛しさのようなものが湧き上がってきます。

でも、「さくらさくら」に対してこういう思いを抱くようになったのは、箏で弾くようになったからだけではないような気がします。

生きる、ということを重ねて育っていく思いなのかしらと思います。

…いつのまにか春が好きになっていたんですね。








2014-03-19

2014年3月19日

箏を弾くようになり、特に意識するようになったのは倍音の存在です。

字が表す通り、倍の音なのですが、何が倍かと言うと、それは音の振動数です。理科で少し教わりますが、音は波であり、単位時間あたり何回振動するかで音の高さが決まります。例えば、オーケストラで音合わせの時に出すラ(A)の音は、1秒間に440回振動します。
それぞれの音の高さには固有の振動数があるのです。

私が箏でドの音を出した時、ソの音が聞こえたり、ミの音が聞こえたりします。それが倍音です。元の音の整数倍の振動数を持つ音が、同時に響くのです。ドを弾いた場合は、ドの整数倍の振動数を持つ高いソや、更に高いミの音が同時に鳴り始めるのです。

倍音は小さな音なので認識はしづらいのですが、ドの音を弾いてもドの音だけが鳴るのではありません。色んな音が混じっているのです。それがどういう混じり方をしているかで、音のニュアンスが全く異なります。どのような色合いを出すのに、どの絵の具をどのくらい混ぜて、っていうのに近いのかもしれません。

箏の低音の絃をはじくと、比較的はっきり倍音が鳴ります。それに合わせて、音の並びを作り、協和する数音を一緒に鳴らすと、それはそれは美しい和音を奏でられる楽器となります。
ピアノの平均律のような自由さはないのですが、吸い込まれるようなハーモニーが出来上がります。

人の声にももちろん倍音があります。その倍音の要素をフィーチャーしたものにモンゴルのホーミーがあります。ホーミーは、一人で二重唱しているように聴こえるものだと聞き、一人で練習を始めました。もう十何年も前の話なので、すぐにYouTubeで検索することも出来ず、すべては想像です。
毎日お風呂で練習しているうち、バナナの叩き売りのおじさんのような声で歌うと、同時に高い声も目立って出てくることが分かりました。面白くって面白くって、歌いまくっていました。
そうしたら、箏で唄う時もおじさんの声と高い声が出るようになってしまいました。これはいけない、と慌てて練習をやめました。

このたび縁あって、ホーミーや口琴、ボイスパーカッションを奏でるモンゴルの方と弾く機会を頂くことになりました。
先日初めて生ホーミーを聴いたのですが、若い青年の口から出てくる、バナナの叩き売りのおじさんの声。私は間違えていなかった!
彼は高い声を同時に奏でるホーミーはあまりやらないようで、ホーミーと言っても色々な種類があると教えられました。

そしてモンゴルの口琴も聴きました。不思議な倍音が響き、音がどこに着地するのか分からない動きが、知らないところに迷いこんだような、でも懐かしいような何ともいえない感情を呼び起こします。
モンゴルの倍音に対する感性の豊かさの元のなっているものは何なんでしょうね。

今月二十七日ご興味ある方、是非。 

2014-03-12

3月12日

レコーディングが無事に終わりました。
先日書いた「聖なる泉」の他に「胡哦(コガ)」という曲を演奏しました。二十五絃箏の独奏曲です。

「胡」は、昔のモンゴルあたりの広い範囲をいいますが、ここでは西方のカシュガルあたりを特にイメージしているようです。シルクロードの要衝ですね。「哦」は、詩歌を小声で歌うことを意味します。

この「胡哦」には、「聖なる泉」の旋律が使われています。ここでナゼナゼ坊やの私は、作曲者の伊福部先生は、「聖なる泉」の下地である南方の文化と、胡の文化の関係をどうお考えだったのか等々、気になることが山ほど出てきてしまい、あれこれ調べていました。
とは言っても、それより何より問題なのは演奏そのものでした。

どの一音も思ったような音にならない、という根本的な問題を抱えつつも、せめて自分の思うイメージは体現したいと思うのですが、それが何より難しい。
この曲は、歌をゆっくり吟じているところから、アレグロでぐわっと世界が動き始め、空間的な変化と時間の流れの変化が無常観を匂わせるところが大きな魅力です。しかし、それを出すには、いきなりトップギアに入れなければなりません。そして、立ち止まり、囁き、またトップギア。

毎日あらゆる方向から問題解決を試みました。ささいなことでも、それが何らかの影響を受けていることを見逃さないように。鋭敏に、鋭敏に…。
そもそもが鈍な私なので、とてつもなく学ぶことが多く、その量に呆然とする毎日でした。

ところが、どうやっても弾けないところがありました。
手も痺れて、筋がひきつり、これ以上無理すると、レコーディング自体出来ません。
レコーディング前日、ピアニストのグレン・グールドが奥の手で使っていたという方法を以前読んだことを思い出しました。
歯医者の無麻酔治療などでも使うやり方らしいのですが、触覚を切り離すために、集中しないと聞き取れないくらいの音量のものを流し、それを聞きながら演奏するというものです。

テレビをつけました。
あと一日であの震災から丸三年。
亡くなった人に公衆電話から話しかける「風の電話」を追った番組でした。
耳に入ってくる小さな音に、泣きながら箏を弾いていました。

私自身三年前、親兄弟と連絡が取れなくて、いても立ってもいられない時、母からの一通のメール「こなくてよし」でどんなに安心したことか。
様々なことを思い出しながら弾いていました。

三月十一日、レコーディング当日。
奇跡が起こることはなかったのですが、今の自分の限界ではあったようです。
黒のセーターを着てレコーディングをしたのですが、必死で弾いたせいか、終わったら両脇がひどい火傷で真っ赤に腫れ上がっていました。

腰もやられ、脇を上げながらのっしのっしと歩く姿。まるでゴジラだな、と一人で笑ってしまいました。

2014-03-05

2014年3月5日

トラウマってすごい粘着質だなと思います。
私は文章を書くのは嫌いではないのですが、こうやってブログを書くようになって、小学生の時に書いた作文のことをよく思い出すようになりました。

小学五年生の時、それはそれは優しい石川先生が担任の先生だったのですが、何かの理由でその日はお休みでした。
代わりに授業を受け持ってくれたのが、教頭先生です。人気のある先生だったので、代わりの授業もちょっとウキウキ気分でした。

教頭先生の授業は作文でした。
「どういう子供になりたいか?」というお題を出されました。

どういう大人になりたいか、ならまだ書きやすいのですが、もうすでに子供の時期も終わりかけなのにそのお題はなかなか難しいものでした。
ウンウン考えました。
それで、少し前に、勇気を出しておばあさんに声をかけて荷物を持った時のことを書くことにしました。道路を渡っておばあさんに声をかけるのはとっても恥ずかしいことだったのですが、帰りがけに、「本当にありがとう。大きくなってね。」と言われたのがとても嬉しかったのです。「大きくなってね」というのが、人として大きくなる、という意味でもあると感じて、「もっと積極的に行動して、大きな人間になりたい」と、子供ながらに真剣に思ったのです。

そこで、このエピソードを書いた後、子供でも出来ることは沢山ある、自分は「大きな子供」になりたい、ということを書きました。
照れが出てくる年代でしたが、思い切って、そして必死に書いたことを覚えています。

後日、作文が返ってきました。
教頭先生がなんてコメントを書いてくれたかな、と思って、ドキドキしながら原稿用紙をめくり、最後を見たら、赤い字の一行。

「大きな子供」の意味が分かりません。

思わず息を呑みました。
ショックで瞬間に目をそらしましたが、すでにその字は目に焼き付いていて…。
しばらくその字がぐるぐると頭の中を回っていました。
話が面白い教頭先生だったので、自分の話がそんなに分かりづらくてツマラないのかと、かなり落ち込みました。

今考えると大したことではないのですが、私なりに一生懸命書いたつもりだったのでしょうね。
これのおかげで、 「意味が分かるかな」と、だいぶ立ち止まるようになりました。

今でも私の比喩は分かりづらいので、あんまり変わっていないなと苦笑いをすることがあります。自分の感性を表現する日本語がうまく思いつかず、それで比喩を使うのですが、それもうまくいかず…。そもそも私の感性自体が分かりづらいのかもしれないなと思ったりもします。

その時のことを思い出すと、今でも胸のところがウッとくるのですが、私の教訓となり続けてくれているのですから、私の大切な財産なのでしょうね。

2014-02-27

2014年2月27日

今度のレコーディングで弾く曲は、伊福部昭作詞作曲「聖なる泉」という曲で、永瀬博彦氏がソプラノと二十五絃箏用に編曲した作品です。
伊福部先生と言えばゴジラの曲が馴染み深いですが、この曲はゴジラが初黒星を喫する映画「モスラ対ゴジラ」の中でザ・ピーナッツによって歌われています。

実は私は非常に振動に弱く、ヘッドホンをつけると吐き気に襲われることもあるくらいで、ましてや大音量の映画館には恐怖すら感じます。
でも、十年ほど前にビデオで「モスラ対ゴジラ」を見た時に、ザ・ピーナッツの歌うこの曲が大好きになって、これだけは映画館で聴きたいと思ったものです。
それが、縁あって、この曲を弾かせて頂くことになり、やっぱり何者かに見られているな、と天を見上げてしまいます。

さて、「聖なる泉」は、小美人なるザ・ピーナッツが、南洋の島インファント島の住民の命の源である泉のほとりで歌う曲です。
英語でも日本語でもどちらでもない歌詞がついていて、意味はさっぱり分からないのですが、なにやら神聖な空気に包まれます。
言葉が必要であるのですが、言葉を分かる必要はないという不思議な雰囲気です。

ということで、そのままにしておいたのですが、この度この曲を弾くことになり、さて、歌詞はどんな意味だろう、どんな表現をすれば良いだろう、と楽譜に書かれているアルファベットの羅列を眺めました。

Na Intindihan mo ba
Mayroun doan maganda balon
Punta、ka lang dito
Punta、ka lang dito
Halika at marupo
Halika at marupo

うーむ。
何回眺めても全く分からない。
ただ、母音で終わっている語が多くて、伸ばす音が綺麗に響きそうです。

ちなみに、これには日本語訳なるものがあって、伊福部先生がこの内容を表すために、南の島っぽい言葉を当てはめたらしいというのが有力な説です。
その日本語訳がこれ。

導き モスラよ
汝知ルヤ
ココニ美ワシキ泉アルヲ
暫シ、ココニ来タリ
暫シ、ココニ憩エ

なるほど。
それにしても、原文にはモスラに該当する言葉はないし、最後の二行は同じはずなのに日本語訳では違うし…。
これでは歌詞ごとの表現が出来ないわ。

と、ここで、古代人の私でも出来るスマホの検索です。
キーワードっぽいのを選んで、Halikaっと…、あー、あったあ!
タガログ語だ!
そういえば大学受験で覚えました。
フィリピンの言語、タガログ語。
人生でこの知識を使うことはあるのだろうかと思った覚えがありますが、ここで使うなんて。

変なところに感激して、タガログ語辞書で調べまくったら、なかなかの確率で単語がヒットして、ブチブチ切れですが、数語以外の意味が分かりました。

「すぐに」「相互理解」「あなたの」「ですか」
「持つ」「?」「美しい」「井戸」
「場所」「のみ」「ここ」
「こちらに来なさい」「そして」「?」

うーん、なんのこっちゃ。
でも、「美しい井戸」って「美ワシキ泉」っぽいし、「こちらに来なさい」も良い感じ。
でも果たしてこの語の並びは正しいのだろうか?分からない単語や意味不明な箇所は何を表しているんだろう?
タガログ語話せる人はいないかなあ。

あ。ここで思いつきました。前にも出て来た「私同様しつこい親友」の真里がハワイ大学の教授です。環太平洋地域に強そうなハワイ大学にはタガログ語を話せる人がいるかもしれない。

そうして、国境を越えて迷惑をかけて、ピンポン。分かりました。
何語か間違いはあるけれど、きちんとしたタガログ語の文章でした。
間違い?いや、間違いではないのかもしれません。
伊福部先生はお亡くなりなっているので、真相は闇の中なのですが、伊福部先生は異様なほど博識な方です。音の数に合うように言葉を変えたり、架空の南の島っぽさを出すために少し変えたりしたのかもしれません。

いずれにせよ、この歌詞で色んな方々に歌われ、録音されているので、やはり、「聖なる泉」の正しい歌詞はこれなのでしょう。
とにかく、私は全ての単語の意味がはっきり分かり、作詞作曲された意図に少し近づけたような気がして満足したのでありました。



 *ここまで書いたので、一応タガログ語の正しい文章と直訳を…

Naintindihan mo ba      
Mayroon doong magandang balon            
Punta、ka lang dito
Halika at maupo

知っていますか
そこに美しい井戸がありますよ
ほらここにいらっしゃい
来てお座りなさい










2014-02-19

2014年2月19日

無理だと言われると力が湧いてくるのが不思議です。
あの時もこの時も…。
人生の節目節目では常にこの言葉を耳にしていたように思います。

どちらかというと素直なタチなので、瞬間にツーっと胃が痛くなるのですが、三十分もするとその痛みもスゥーっと治まり、顔がわらけてきます。
負けず嫌いなのかしらと思ったこともありましたが、正直言って周りの人に負けたくないという気持ちは、そこら中を探しても見当たらなく…。むしろ欠如していると言ってもいいくらいです。

最近ちょっと分かりました。
無理だと言われる状況は、誰でもない、私だけがやりたい状況なのですよね。
失敗する可能性が大きいのに、払う代償は大きいよ、なんでやるの、の問いかけを発してもらっているような気がします。
あー、そうだ、自分は犠牲を払っても人におかしいと思われてもこれがやりたいんだ。それに、無理なんだから、どんなやり方をしてもいいんだよね。
なんの縛りもない中で、自分がやりたいことをやりたいように出来る。本当の意味で精神的に自由になれる。
…と、ここらへんでわらけてくるようです。
だから、むしろ無理だと言って欲しい。

これは言い過ぎました。
こんなこと言ってるから、マゾだって言われちゃうんですね。

2014-02-12

2014年2月12日

巷には占いものが溢れていますが、私は、普段はそれらには見向きもしません。
では、占いなんかけしからん!と思っているかというと、そうではありません。仲良しの友人は占い師ですし、占いの歴史や仕組みなどをホーホー聞いては質問攻めにしています。

じゃあ何故占いものを見ないかというと、それは他でもない、自分の楽しみを取られちゃうからです。
毎日様々なものを目にし、耳にするわけですが、なぜそれらのものが今姿を現したのかを、あれこれ推測して、それらが語りかけてくるものにそっと耳を傾けるのが、私の密やかな楽しみなのです。

そんな私ですが、先日、たまたま一冊の星占いの本を手にしました。
『生れ月の神秘』
日本でおそらく一番最初の星占いの本で、それも、著者が山田耕筰。
そんな不思議な取り合わせの本が、七十年ぶりに復刻されたというのです。

山田耕筰、そう、あの『赤とんぼ』の作曲家です。
山田耕筰が日本の音楽史の中でも抜きん出た存在だということはあまり異論のないところだと思いますが、作曲されてから何十年も経つというのに、今ここで心を揺り動かすような力を持つメロディーを作る人ってどのような価値観を持っていたんだろう、って純粋に興味を覚えてしまいます。
それに、あの尋常じゃない頭の大きさ!

ということで、興味津々でその本を開いてみました。
私は、十一月生まれなので、どれどれ、十一月生まれの人々は…

「この月生れの婦人は、快樂好きで、規律規則が大嫌ひです」

た、確かに…
規律規則は異常に嫌いだわ。
好きなことしかしないし…それって、快樂好きってこと!?

「この月生れのものは、一日延ばしに物事を延ばす習慣に染みやすい傾向があります。が、しかし、この悪習を打破しないと、そのために遂に生活を破産するやうな結果になるでせう」

うんぎゃあ。
す、鋭い…

山田耕筰に言われたとなると、この悪習をどうにかしなければならないという、切羽詰まった思いにかられて、まずこの本を買ってしまったのでありました。

それが山田耕筰が言いたかったことかどうかは別として、

ほら、読みたくなってきたでしょ。



 
 
 
 
 

2014-02-05

2014年2月5日


年明けからお雑煮を作ったり箱を作ったりして、ノンビリ過ごしているような顔をしていますが、実は内心オタオタしてます。

三月には私の一大イベント、初レコーディングがあるのです。二曲弾かせて頂く予定です。
駄目と言われた時の無意識の逃げ道のためか周りに言わないでいたのですが、カッコ悪くなることを怖れるなんてカッコ悪い!…と、十分カッコ悪くなった今頃、書いています。

CDは、作曲家の伊福部昭先生の作品集です。ここで、習ったこともないのに「先生」をつけちゃったりすると、伊福部先生にあの世から、「誰だよ」と言われそうですが、私は伊福部作品によって言葉では言い表せないほどのことを学んでいるので、やっぱり伊福部先生なのです。
「先生」って、こちらが謙遜して言っているようで、「この人と知り合いですよ」の自我が現れたりする微妙な言い回しであるような気もして、このように言い訳がましくなります。

その伊福部先生は日本を代表するクラシック音楽の作曲家ですが、実は二十五絃箏のために多くの曲を作られました。それも名曲揃い!!自分がどこから来たのかとか、思索の世界に引きずり込まれます。

そして難しい〜。
憧れの気持ちが強すぎて、時期尚早と分かっていながら、毎年伊福部先生の曲を一曲、リサイタルで弾いています。
でも、やっぱり難しい〜。
前回のリサイタルでは、弾けないところを練習する夢を毎晩見て、うなされては揺り起こされ、前々回のリサイタルでは、「負けるもんか!」の自分の声に跳び起きる始末。
今回はどうなりますことやら。

自分の演奏はさておき、レコーディングの準備では、すっごく良くして頂いていて、そして曲に関してもナゼナゼの話がいっぱいで、楽しくて楽しくてたまりません。

ということで、今度は私のホームズぶりを明らかにしたいと思います。

2014-01-29

2014年1月29日

今更ですが、人が話しているのを聞くのが楽しくてたまりません。
話の内容もそうなんですが、声による微妙な音程の変化や音色の使い分け、そのリズムの変幻自在さを思うと、人ってすごいことをやっているゾ!と、感激してしまいます。

さっき乗ったバスでは、降りる時に運転手さんが「あ〜りがとうございました。」と、「あ」をしわがれさせて少し倍音をきかせて一番高い音程で伸ばしてから声を下げてちっちゃくしていました。「あ〜」で、つい気持ちを持っていかれて、笑い出したくなり、後は余韻のように響いて気持ち良さが残りました。
その後最寄り駅に行ったら、ホームのあたりから、小鳥がピーチクパーチクしているような音がしたので行ってみたら、ホームには見慣れぬ渋い紺色の寝台列車が止まっていて、小学生がその周りを囲んでいたのでした。皆大喜びしている中で、一人の小学生が、「まるでホテルニューオータニだっ!」と叫び、大人達が大笑い。「ニュー」のところで声を震わせて、「オー」で声がひっくり返ってしまって、こちらまで感極まってしまいました。

だから電車のアナウンスとか隣の人のおしゃべりも楽しいのです。
今まで毎日毎日聞いていたのに、聞こえていなかったんだなあ、と思います。
今更こんなことを言っているのだから、聞こえていないことだらけ、見えていないことだらけなんだろうと絶望する思いもありながら、これから姿を現してくれるモノとの出会いを思い、胸を高鳴らせてしまうのです。

2014-01-22

2014年1月22日

先週ホームページにコンサート映像をアップしましたが、これを撮って編集してくれたのが、阿部ちゃんこと阿部耕介さんです。

そもそもはフリークライミングでの友人です。
指を痛めると演奏に支障が出るので、最近はクライミングをほとんどしなくなりましたが、ではクライミングから遠ざかったのかと言うと、そういう気はしません。クライマーはなんというか心の友です。
クライミングって、誰からも頼まれもしないのに、わざわざ崖を登り、自分の限界と向き合います。限界のときに透明な精神状態であれば一番良いのでしょうが、それこそ多くの葛藤と感情が入り乱れる中で出る一手は、隠しようのない裸の自分です。
どんなレベルであれ、そういう時にどうするかということの持つ意味合いは誰にとっても同じで、男も女も大人も子供もプロも初心者も関係ありません。なんというか単なる何者かです。
そういうスタンスで人や物事に向き合うクライマーは、私には妙にしっくりきます。

阿部ちゃんも、そうやって物事と相対しているような気がします。
そして、見かけによらず(ゴメンナサイ)細やかな気づきが人よりかなり多い生活を送っているんじゃないかなと思います。それでいて、直感の持つ大胆な力もよく分かっていて…。
パンフレットもチラシもお世話になっているのですが、提案してくれるものには、パッと見て、あ、いいな、という印象をまず持ちます。
自分も曲を作ったりしますが、物づくりにおいて、実はこれが一番難しいんじゃないかとつくづく思います。

ところで、阿部ちゃんのパートナー(阿部ちゃんに言わせると妻ちゃん)は優さんと言って、書家です。
私の『生ひ立ちの歌』の映像で流れているのは優さんの書です。すっごくすっごく繊細な方ですが、その中にあるググッとした力強さは作品にもよく表れていて、生命力が細く強い青白い光で浮き出てきているのを感じます。
強さってなんなんだろうなあ。

この二人がもう仲良しで、都会から離れて住んでいるのですが、どっかおとぎの国の秘密基地みたいなところに身を潜めているんじゃないかしらと睨んでいます。

こういう人に、おんぶにだっこの私です。
重くてごめんなさい〜

2014-01-15

2014年1月15日

先日のリサイタル映像をホームページにアップしました。一部抜粋のものもありますが、最後のアンコール曲も含めて、一応全部の曲をアップしています。

私の演奏はさて置くしかありませんが、竹と陶器を背景にした、このなんとも美しい映像は阿部耕介さんに撮って頂きました。せっかくなので、阿部ちゃんのことは次回改めて書かせて頂いちゃいます。

リサイタルが終わり、少し離れて自分を見ると、あまりに真面目なその顔にちょっと笑っちゃいます。
そもそも全部が顔にあらわれるタイプですが、少しでもイメージに近づけようと、よっぽど必死だったのだわ。出てしまった音を顔でどうにかしようとするあがきもあります。
箏を始めた頃、先生に、「顔っ!」とよく注意されましたが、何十年経っても直らないようです。
いつかは顔で直そうとしないぐらい弾けるようになるのかしら?

ナマゆえのことも多々ありますが、今の私の等身大のものとして、支えてくれる方々に感謝を込めて、ご報告させて頂きました。
これからも目を背けることなく、お得意の牛歩で進んで参ります。
皆さま、ありがとうございました。

2014-01-08

2014年1月8日

年末、ガラバゴス仲間を裏切り、スマホにしました。
年始やっと大掃除を始めた私ですが、さて、スマホが入っていた箱を破いて捨てようと箱に手をかけても、ウンともスンとも言いません。グイグイ力を入れてもシーンとしてるだけ。

変に運命論者である私は、これは捨ててはならないという、何かのおぼしめしだと決めつけ、三味線の糸入れを作ることにしました。十年ぐらい前に買った和紙を取り出し、切って、糊でペタペタ貼って…。せっかく切ったパーツをくしゃくしゃ丸めて捨ててしまい、困った困ったと、とりあえず糊をダーっと塗ってみたら、あらあら、和紙って伸びるのね。あれ、なんかこの匂いとこの感じが懐かしいな、と思っていたら、思い出しました。

障子の張り替えです。
毎年年末は家族で、障子を外して、障子を破いて、新しい和紙をペタペタしていました。新しい障子をはめた時、その匂いが嬉しくて深呼吸をしていました。なんで今まで忘れていたんだろう?

年始になってから大掃除している私への戒めのメッセージなのかな、と、出来上がったいびつな箱を眺めている私です。



2014-01-03

2014年1月3日

あけましておめでとうございます。

我が家のお雑煮です。
焼いたあんころ餅と直径二センチほどの大根の輪切を入れた、まるまるづくしの白味噌仕立てのお雑煮です。
初めて見た時は度肝を抜かれましたが、今ではヤミツキです。
神戸から材料を全て送ってもらっちゃっているのですが、作り立てのあんこを、つきたてのお餅で丸めている皆の様子が目に浮かんで、ぽっかぽかの気分になります。

このスピード時代にあって、手間と時間をかけることをモットーとしている私ですが、お察しの通り、昨年はやりたいことどころか、やるべきことにも手が回りませんでした。さすがに反省し、今年はほどほどに手早くしなきゃと思っていたのですが、このお雑煮を食べて、やっぱり手間と時間をかける一年にしようと、今年が始まって数時間で方向転換をしたのでした。