年に一回のソロコンサート、今年も沢山のお客さまに足を運んで頂き、温かな空気の中、どうにか無事に終えることが出来ました。
筋肉痛が来るのが遅い私は数日経って、立っているのすら辛くなってきましたが、その痛みのおかげで色々なものが紛れているのも感じます。
今回もやりたいことを考えているうちに、一度に2つの箏を使わないと弾けない曲、唄つきの曲、微分音を数多く使う曲、詩を朗読する曲、相変わらず難しい伊福部先生の曲、そして自作2曲と、かなり幅広いものとなってしまいました。
ギリギリまで時間をかけて曲を作りつつも、 別の曲の練習をするために次の楽器を出しながら発声練習をし、準備が出来たらその曲を練習し、手が痛くなったら曲のイメージについて考えこみ……。
考えるべきことがありすぎて、そしてどれも満足にいかない現実に身体の芯が震えてきて、まっすぐ座ることすら困難です。
どうしていつも出来ないくせにやろうとしちゃうんだろう……。
お客さまが少しでも僅かでも楽しめる瞬間がありますように、という悲痛な祈りの中でコンサートが始まりました。
どの1音も本当に真剣に聴いてくださるお客さま。その気を感じると、どの1音もおろそかになんかする気も起こりません。代わりに、こうしよう、ああしようと思っていたことは全てふっとび、本当に素朴に次の1音を弾くということしか出来なくなりました。
結局は、普段の生き方が出たとしか言いようがありません。
難しいところがうまくいかなかったというような単純なことではなく、普段の自分の甘さがあるところはそのままに、むしろその甘さ厳しさに比例して、どの1音も言い訳しようもない今の私の音となりました。
これをここまで実感したのは初めてで、それは、さらけ出さざるを得なくなった、お客さまの誠実な空気と、等身大の私を応援してくれるお手伝いをしてくれた周りの人たちのおかげなのでしょう。
生き方をさらけ出したといっても、その素朴な次の1音とは、私が練習していた音の種類と同じではありませんでした。こんな音があるのだという初めての出会いもありました。
それらはきっとあの場で皆さまに引き出して頂いた音なのでしょう。それと同時に皆さまの音そのものでもあったなら、なんとも嬉しいことです。
まだ頭も身体もぐるぐるしていますが、皆さまの思いやりに溢れた言葉に、丁寧に生きていかなければという思いが湧いてきています。
感謝の気持ちしかありません。
いつか恩返し出来ますように……。
本当にありがとうございました。