2014-09-04

2014年9月4日

困った時の神頼みと、よく言いますが、こちらの身勝手さをあざ笑うでもなく、そういう時に姿を現す何者かにいつも驚嘆の念を抱きます。

昨年のリサイタル前も相も変わらず悩みの多い日々でした。どうしたら良いだろうか、ということを書き出したら、紙の外にはみ出してもいつまでも手が止まらないかのようでした。

特に作曲では頭を抱えていました。リサイタルまであと一ヶ月というのに、作曲の途中で行き詰まってしまったのです。
作っていたのは、「無碍(むげ)」という曲。融通無碍という言い方もありますが、私の自由への思いをこめたものでした。
抽象的な題材なだけに、糸口が見つからず、悶々として時間が過ぎるばかり…

今日こそは、と外出先から戻ってきてポストを見ると、大きな封筒が入っていました。
差出人は、尊敬する人生の大先輩。
「これを読んで頂きたくて…」の短いお手紙に添えられていたのは、ある本の一部分のコピーでした。
読み進めて驚きました。
まさに、私が作曲で考えていた内容についての深い考察だったのです。

もちろんその方は、私が「無碍」という曲を作っていることはおろか、私が作曲中だったこともご存知ありません。
その文章に没入して、考えること数時間。
そのあと箏の前に座った時には、自然と音が流れてきて、深い感謝とともに最後の音を書き留めました。

こういうことに巡り会うたびに、自分は世界の仕組みについて、肝心なことは何一つ分かっていないのであろうということを思い知らされます。
でも、何者かがこうやってたまに知らせてくれるので、何かに守ってもらっているという安心感のようなものがあります。

…と書くとノンビリしているようですね。
実は、そのお知らせを見逃さないよう、キョロキョロしながら、アンテナをぐるぐる回す毎日です。