2014-09-14

2014年9月14日

『嗟歎』という曲を書いています。
これは『さたん』と読み、嘆き悲しむことを表す語です。
「え!あのサタン?」
「いや、違います違います、悪魔ではありませんよ」
というやり取りをもう何度かしています。

先日も友人がじっと『嗟歎』のふりがなの『さたん』を見ているので、いつものやり取りの心の準備をしていたら、
「え!サンタ?」
っていうので、思わず大爆笑してしまいました。
あんなに悲しい気持ちを表している曲のはずが、頭の中に急にジングルベルが鳴り響き始めて、それもそれで正しいような気がしてきます。

それにしても、皆が眉をひそめるサタンと、誰もが明るい気分になるサンタが、こんなに似ているとは今まで気がつきませんでした。
両方のイメージがかけ離れ過ぎると、言葉が似ていても連想出来ないのですね。

まさかね。
と思いながら、念のため調べたら出てくる出てくる。

12月25日はキリストの誕生日であるだけではなく、悪魔サタンと言われるニムロドの誕生日であり、物欲をなくすように諭したキリストをあざ笑うかのように、物欲に駆り立てるサンタを作り出し、人々を堕落させようとした…

サンタを、特に子供を物欲の虜にする象徴として考えたことなんてありませんでしたが、考えてみたら、幼い頃、クリスマスツリーの下にプレゼントが積み上げられている外国の映像を見て、なんとなく居心地が悪い気がしたのを思い出しました。
私の小さい頃は質素であることを美徳とする傾向が強く、それが自然に身についていたのでしょうね。

それから長い年月が経ち、クリスマスが近づくと私も少し開放的な気持ちになるようになりました。
物欲に身を委ねる快感を知ってしまったのかしら。

人間がそもそも持っている欲を露わにして自分の存在を誇示するサタン。
サンタを登場させてまでそれを突きつけて、人間の欲にしがみついているようにも見えます。
人間の浅ましさを高らかに笑いながらも、それがなくなる日が来ることに恐れおののいているのかもしれません。

そう思ったら複雑な気持ちになってきて、嗟嘆がサタンでもサンタでも大して変わりがないわね、とふたたび箏に向かったのでありました。