明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年の元日明けは山寺へ。
小学生低学年の時に一回行ったきりです。
階段がいつになっても目の前に立ちはだかり、でも、性格的に弱音は吐けず、心の中で「もうここには来ないぞ」とこっそり誓いました。
それからン十年。山寺のニュースを見るたびに、「みんなよく行くな」とあの日の誓いを思い出していました。
岩登りで山寺の麓に行ったこともありましたが、クライミングの合間に、目の端で崖の上のお寺を追うだけ。その時登っている岩よりもはるかに高く厳しいものに感じたのでした。
ところが、つい、山寺に行ってしまいました。
調子に乗る性格ゆえの成り行き、なのですが、良く言えば、昨年向き合った歌のコンプレックスのことがあったのかもしれません。
充分な装備をして、いざ出陣!
…と、思ったら、20分後には頂上に着いていました。
呆気にとられてしまいました。
ずっと頭の中でそびえ立っていたあの山はどこ?
頂上を目の前にして現れる最後の階段では、1段上るごとに煩悩が1つずつ減っていくのだとか。
だいぶ辛くなってきて、あれこれ考える余裕がなくなってくる頃に現れる階段です。
1段上がるごとに考えられることが1つずつ減っていき、そうして考えることを1つずつ落としながら前に進む力を得ているといった感じです。
ということは、煩悩は、人が考える力を持ったがゆえに持たされてしまったものだということなのでしょうか。
考えるということは自分のかけがえのない財産ではありますが、考えるからこそ煩悩の元になるものが生まれ、考えるからこそその煩悩に気がついて苦しみ、そしてその場で足踏みをします。
最後の階段を上りきった時、そんなことだけを考えていました。
そうでした。考えたからこそ、葛藤を生み、山寺にも登りたくなかったのです。
でも、本当は20分で登れるところでした。
さて、では、考えなければいいのか。
いや、考えなければ向かうべきところすら見えません。
考えるということをどのように考えるか。
…さあて、今年は何をしようかな。
なんて、余裕なことを言っていますが、次の日は筋肉痛で歩くのすら大変でした。
まずは身体を鍛えた方がいいですね。