2014-05-22

2014年5月22日

終わりがそこにありました。

人形浄瑠璃文楽の太夫の竹本住大夫さんの引退、その日がやってきてしまいました。
八十九歳での引退という人間離れしたものでしたが、生きている限り語り続けるのだろうと信じているところがあっただけにショックでした。八十九歳の引退が予想外である、という一事だけでも、それまでの生き方は推して知るべしです。

私も邦楽をする者の一人ですが、文楽での語りは、他の邦楽のジャンルと一線を画するような激しさがあります。
ある意味無機質である人形に対して、生々しく情を唄いあげます。裸での演奏です。いや、演奏、という言葉も不似合いなくらい、魂と直結した行ないです。

その言葉が上っ面のものにならないように、太夫はお腹に重りを下げて、爪先立ちで座り、肚に力を入れます。
一音発するにも鬼気迫るような語りは、邦楽のあるべき姿を考えさせるものです。

住大夫さんの語りには、深く頷きたくなるような力があります。
悪声な上に物覚えも悪く、師匠に叱責される日々だったそうですが、師匠が及び腰になるほど稽古を重ねたと言います。文楽が好きでたまらず、もっと良くなるはずとの一念で作り上げてきたのです。
八十七歳で脳梗塞になって、泣きながらもリハビリを続け、舞台に復活したのは、若い頃からのその一途さと執念の賜物だったのでしょうか。

不器用を自認する住大夫さんの凄味のある語りに、不器用な私は物言わぬメッセージを受け取り、それを励みにしてきました。

まだまだ現役でいけるだろうと思って劇場に向かった私ですが、行きで目にした緑の鮮やかさのせいか、対面した住大夫さんの姿に、やはり引き際がやってきたのだと瞬間に悟らざるを得ませんでした。

終わりは頭で理解するものではなく、そこにあると感じるものなのだということも分かった時でもありました。