2019-03-28

さやさやコンサート

日々移り変わる空の色に、心が揺り起こされるようです。
空に少しピンク色の縁どりが出来てきて、桜もそこに彩り加えるのを、いまかと待ち構えています。

おそらく満開になりそうな31日(日曜)、おさらい会ならぬ、「さやさやコンサート」開きます🌸
箏に関係あることで思いっきり遊んじゃおうということで、お箏を数回しか弾いたことをない人が半分以上、いつかは通して弾いてみたい「六段リレー」に始まり、 お箏の旋律の美しい曲、合奏曲、雅楽(風)、わらべ唄と手遊び、ブルース調の絵本弾き語り、西洋の古い楽器のブサルテリとの弾き比べ、ウッドベースと十七絃、仕舞と即興ダンス、バロック時代の曲、皆んなで歌う曲、最後は歌って踊っての「東京音頭」なんていう、楽しそうなプログラムです。

休憩時間にはお客さまが練習して、2部の始まりはお客さまの演奏です。誰もうかうかしていられません。

ご縁があって素敵な鳩の森神社の能舞台でやらせて頂くのですが、皆んなが緊張するというので、前座として、箏弾きが尺八と笛、尺八吹きが箏と、楽器をかえて、「さくら」を演奏して皆さまにリラックスして頂くことにしました。

で、でも、いくらやっても私の尺八の音が出ない!
先日も一生懸命やり過ぎて目の血管が切れたものの、音が出ません…結局、私が一音でも出たらそこから他の2人が演奏を始めるという、合図担当になりました。出なければ、コンサートは始まりません…

開演14時ですが、ちょうど神社で結婚式があり、雅楽の生の音とともに、花嫁さんと花婿さんが参道を歩くということで、それを皆んなで見てから、10分遅れで始めることにしました。
そして、私の尺八が鳴ればですが…

初心者ばかりのお気軽なコンサートてす。
これから箏でどういうことが出来るか、皆んなでの実験コンサートです。
ものすごーーーくお時間のある方、巻き込まれてもいい方は、見学無料ですので、どうぞ遊びにいらしてくださいね!

2018-12-31

「峠(タムケ)」映像できました

先日のリサイタルの演奏「峠(タムケ)」(杉山洋一作曲)の映像を作って頂きました。
約2500年前のお墓で発掘された琴を復元した五絃琴と、正倉院におさめられている琴を復元した七絃琴。共鳴部のほとんどない琴が、求道会館のステージを共鳴箱として深い音で鳴り響きました。
罪で地方に流された夫と、都に残された妻の相聞歌が万葉集に残されており、私(五絃琴 ・妻)と沢井一恵先生(七絃琴・夫)がそれぞれの唄を奏でます。
ちょっと長いですが最後まで聴くと低音がいつまでも響き続ける錯覚に襲われます。
これからもずっとずっとこれが私の中で響き続けるような気がしてなりません。

2018-11-20

リサイタル終わりました

リサイタル、無事に終わりました!!

1週間前に新たな五絃琴の弾き方を発見して全ての指順を変えたり、新曲に苦しみ、前々日の夜にやっと出来上がったり、相変わらずいっときも気が抜けない状況が続き、最後はやはり天を仰いで神に祈るばかり。

朝起きたらスマホはピクリともせず、昨夜までのチケットのやり取りのメールがちょうど終わったところで、タイミングが良いのか悪いのか。不義理してしまった方、ごめんなさい。

箏は響きが少ない楽器で、会場によってはそれで悩むことも多いのですが、昨日はリハーサルで箏の爪音がとても響くことに驚き、思わずアナウンスのマイクのスイッチが入っているのかと確認するほどでした。共に舞台に立ってくれた竹が一緒に響いてくれたのでしょうか。凛として力強い竹がそこにいてくれました。

本番では更に小さな音が響いて行くぐらいで、それはお客さまが奏でてくださっているのだろうと、弾きながら胸が熱くなったり…

ゲストでいらしてくださった沢井先生の七絃琴の音はまさしく時空を超えて響き渡るようで、太古から日本人がどのような音を慈しんできたかを感じさせるものでした。

それにしても、やっぱり何より会場は温かったです。大好きなスタッフの皆さんにそばにいて頂き、心優しいお客さまに共に奏でて頂く。それは本当に本当に幸せなことです。
何一つ自分では出来ないことだと肝に銘じています。

皆さま、本当に本当にありがとうございました!!

2018-10-30

竹取りにて

今年もリサイタルの舞台背景に使う竹を取りに、八王子の長沼公園に行ってきました。

舞台を彩って頂く陶芸家の川合牧人さんと華道家の手島久子さんとご一緒に、サミーさんこと松村正道さんのご案内で、長沼公園の神社横の竹やぶで竹を取り、境内で作業するというなんともありがたいシチュエーションの中での竹取りでした。

今年の竹は、夏の猛暑を身体いっぱいに含んでいて、大きくてかたい!
バリバリと音を立てて倒れる竹が色んな木々に巻きつくのを、「オー」とか「ワー」とか言っているだけで、今年もなんの役にも立てませんでした。

でも、必死で力をこめて、竹を運んだり、枝を落としたり、ゴシゴシ磨いたりしていると、あんなにおっきく見えた竹がなんだか身近に思えてきて、手入れするというのは、モノと仲良くなれるものなんだな〜と。

きっとモノとの垣根って結構かたくて、それを外すためには、力をこめてゴシゴシしたりナデナデしたりして少しずつ剥がしていかなきゃいけないんですよね。
昨年は、竹取りで身体いっぱい力を使うことを覚えましたが、今年も大切なことを学びました。

この神社の管理者は、近くで田んぼを持っていて、スズメのためにわざわざ食べ物を残しているような心優しい方で、今回の竹取りを快く許可してくださいました。サミーさんもひたすら楽しんでくださるご様子で全ての竹を切ってくださいました。ヘトヘトになるような作業なのに…。川合さんも手島先生もいつものさらりとした気配りの中でにこやかに手を止めません。
最後は即席竹ボウキで綺麗さっぱり。

この全てをそのままそっくりコンサートに持っていきたい。
きっと持って行けると信じて、あとはひたすらに励みます。

2018-10-25

土俗の乱声 レコーディング

最近facebookでのご報告が中心になってしまい、ちょっと反省です。
やっぱりブログできちんと今の自分を綴っていければと思っています。

「土俗の乱声」のレコーディング、無事に終わりました。

これのお話があったのは1年前。
ドキュメンタリー映画「土俗の乱声」につけられた伊福部昭作曲の曲を二十五絃箏一面のために私が編曲して演奏し、CDに収録するというものでした。

元のオーケストラの演奏を聴いた時に、その迫力と格好良さに、思わず、「やります!」

しかし、実際、金管、バイオリン、ピアノ、ゴング、ティンパニーが響き渡るオーケストラの40分余りの曲の分厚いスコアを目の前に、途方に暮れてしまいました。

私の悪い癖で、考えていることを理由としてそのまましばらくフリーズ。
「やります!」と威勢よく言ったもののどうやら一歩も進んでいないらしいのを察した周りの方々が、映画の思い出話をしてくださるために集まってくださったり、録音の様子を記録したものを見せてくださったり。
伊福部先生を取り囲んでいた優しさを、私もお裾分けして頂き、少しずつ勇気が出てきました。

なにかのキッカケを探そうと、この曲のキーとなっていると感じた、ゴングの音を実際に弾いてみたいと、ガムランまで習い始めてしまいました。

土俗の乱声で取り上げられているお祭りや歴史も調べに調べ、とにかく編曲するまでの道のりの長いこと。
そんなことを経て、今井聡さん編曲のピアノ譜を参考にさせて頂きながら、どうにかどうにか出来上がりました。

レコーディングでその途中経過をあれこれ報告していたら、「あのォ……ちょーーーっと遠回りし過ぎじゃありませんか?」と優しい呆れ顔。
確かに。1年かけて編曲って、本当に不器用な私らしい気がします。

でもその回り道で、沢山の拾いものをして、ポケットがパンパンになりました。
レコーディング当日も、目からウロコが落ちるようなことが多く、最後の最後まで拾い続けました。

編曲するまでが時間がかかりすぎて、レコーディングでどうだったのかは心配ですが、この曲を11月のリサイタルでも演奏します。

拾ったものを身体の奥の奥にまで入れ、それが湧き出るものになっていますように。


2018-03-18

2018年3月18日

今年も大好きな季節が終わってしまいました。
花のひとひらのように美しい手のはためき、蕾が開く音が聞こえてくるかのような微かな空気の揺らぎ、人はなんて美しいものなのかと心震わせる季節です。

年明けから、ひの特別支援学校の音楽の授業にお邪魔させて頂きました。
3年間ご一緒した生徒さんたちは昨年卒業したので、今年は新しい生徒さんたちです。

実は私は、とても分かりづらいひどい人見知りです。新しい人と会う時、身体も心もまるで自分のものじゃなくなるような居心地の悪さを感じます。

でも、ここでは安心です。
緊張しないということではなくて、緊張するのが当たり前だからです。
初めて会ったら平気ではいられない。
なんで隠さなきゃいけないんだろう。

私はよそ者です。
でも、よそ者が皆んなの前に立つ大変さを、皆さんよく知っています。
「サトウ先生、頑張ってー!」って口々に応援してくれる声に、照れながらガッツポーズ。

お箏の音をよく聴いてくれて、心地よいシーーンとした音で部屋が満たされます。
途中で1箇所音がカスれてしまったら、小さな声で「頑張れー、頑張れー」って言ってくれている生徒さんもいます。何十回も!

生徒さんもいっぱい弾きました。

絃を撫でた後にずっと手を空にかざしている生徒さんがいます。
音が生まれるのって魔法ですよね。
風がとっても好きで、風を感じるとそうやって手をひらひらとするんだそうです。

ひたすらに絃の上で爪を動かしている生徒さん。
表情が全く変わらないまま私と見つめ合っていたら、ある瞬間空気がほどけました。
同時に周りの先生方の「わあ!」という声。
外しようのないまさに今。
目に見えるものはほとんど変わらないのに。

爪の動かし方を教えたくなり近寄ったら、唇をぷくって膨らませました。
ごめん、ごめん。
そっと離れました。
唇ってこんなに愛らしいんだ。

はちきれる笑顔の爆発力。
笑顔を見て涙が出てくることだってあります。
あの爆発で、星が軽く1個は出来たかも。

先生が、「お箏に似せて作ったお菓子は何でしょう」というクイズを作ってくれました。
苺のショートケーキと八ツ橋とポッキーの写真が並びます。
迷わずショートケーキに手を挙げる生徒さんたち。

ホントだ!
何で気がつかなかったんだろう。
赤い苺がのったショートケーキを見た時、身体が嬉しそうにするのって、箏を弾いた時とそっくりです。

私が出来ること、それはもちろん何にもありません。
感動するぐらいしかできません。

だったらめいっぱい感動しちゃおう、ってことで、準備としての箏の調絃を、自分で感動するまでって、いっぱい時間をかけてやってみました。

そっかぁー
私にだって与えられているんだ。
ピタゴラスだって、こうやってドレミファを発見したに違いない。

手をひらひら。
風が生まれます。
生んだ風に自らが吹かれます。

手をひらひら。
私たちはこうやって景色をかたちづくってきたのかもしれない。

まさに生まれいづる今に心を揺らしながら、これを愛おしめばいいのだと教えられた気がします。

名残惜しいこの季節。

ありがとうをいっぱい身体にためて、また新しい今に心をゆだねます。











































2017-12-13

2017年12月13日

ハープとのデュオコンサート「西洋と東洋のKOTOの響き」、無事に終わりました。

とても素敵なハーピストの西村光世さんとの出会いがあり、お互いの楽器らしさを大切にしつつもそれにこだわり過ぎず、絃楽器が生まれた頃に立ち戻れたらの思いで始まったプロジェクトでした。

楽器が少し似ているが故に目立つ、音の立ち上がり方から、余韻の広がり方といった細かいことに始まり、調和の捉え方、律動の感じ方、メロディの歌い方、言い出したらキリがないぐらいの違いが、楽器の特性や奏者の個性からだけではなく、それぞれの文化や歴史の違いから出ていることに気がつかされる日々でした。

響き合うためには、相手のことをどれだけ知り、愛せるかだけではなく、自分のことをどれだけ知り、愛せるかということも突きつけられた気がします。それは今回は、単なる個の問題だけではなく、西洋と東洋という問題でもあったような気がしています。

それにしてもハープはなんと美しい響きを奏でる楽器なのでしょう。
何千年もの間、人々に愛されてきたことが、その一瞬で分かり、心がそちらに導かれていくようです。

そして、箏はなんて心がそのまま出る楽器なのでしょう。身体の中にしまっているはずの心が、手触りをもって目の前にあらわれるようです。

天上からの光の粒を浴びながら、自分の心を恥ずかしながらそっと差し出すような気分になっていました。

お客さまにはどうお感じ頂けたのでしょう。
私と同じで、楽器を、音楽を超え、様々なことに思い巡らせて頂けていたら心から嬉しいなと思っています。

いらしてくださった皆さま、そのままでいいよと応援してくださった皆さま、心から心から感謝しています。
本当にありがとうございました!!

2017-10-08

2017年10月8日

昨日、私の年1回の大イベントであるリサイタルが無事終わりました。

今年は全てが自分のオリジナル曲だけという、なんだかとっても恥ずかしいような、こそばゆい感じでしたが、知らないうちにサイン会をすることになっていて、それを知らせるアナウンスが会場に2回も流れ、笑い声が起こったのを聞いて、私も思わずクスッ。

舞台には、竹取りに混ぜて頂いた竹と陶と花が織りなす、迫力がある曲線と可憐な秋明菊。
そのキリリとしながら本当に自然そのものといった空気は、私もそうあるようにと話しかけてくれるものでした。

心だけは裸ん坊になろうと、でもそれが本当に難しくて、瞬時に沸き起こる色んな自分と闘いつつ、そしてそれこそが自然なのかなと感じつつ。
多くのことを教えてもらいながら、最後は、無心で祈りをこめた演奏になりました。

お客さまと何かを語り合った後のような身体の感じが残っていて、それが愛しいです。

心からの感謝をこめて。
皆さま、本当に本当にありがとうございました!

2017-09-15

2017年9月15日

八王子の山に竹を取りに行ってきました。

ここ数年はリサイタルの舞台美術を、陶芸家の川合牧人さんと華道家の手島久子さんにお願いしています。

今年10月7日のリサイタルは、青竹を使った舞台になるということで、足手まといになるのを承知で、いざ山の中へ。

余裕があったのは最初だけでした。

竹を選んで、切って、枝を落とし、勾配のキツい斜面を運び上げ(私は押しただけ)、竹を割って、裂いて、ねじって、巻く。どれ1つとっても、竹の特徴を考えながら、腰を入れて身体全体の力を使わないと出来ないことばかり。

汗みどろになりながら奮闘中、名人のようなおじいちゃんが出てきて、竹の性質を教えてくれたり、美少年が出てきて、手伝ってくれたり、ちょっとおとぎ話の世界です。

おにぎりとお茶の美味しかったこと!

それにしても、竹取物語に出てくる竹取の翁は、竹で生計を立てていたのだから、かなり力持ちのおじいちゃんだったはず、と、見る目が変わりました。

清々しいながらも、力強い生命力のある舞台になりそうです。

あの竹がどのようになるのかしら?
私も含めて、当日のお楽しみです。

2017-09-13

2017年9月13日

突然、夏がストンと終わりました。
 短かったような気もしますが、夏を思いっきり吸い込んだ2日間がありました。

8月は19日20日と、井上誠さんが園長、井上美千代さんが副園長をつとめる湯河原の宮上幼稚園にて、「湯河原色えんぴつ」主催のサマースクールでした。  

全国色んな地域からやってくる発達障害の子どもたちとその家族を中心とした会です。  幼稚園でお泊まりをしながらの2日間、物事の本質に向き合うアーティスト達による本気ワークショップが繰り広げられます。 

初めてこのサマースクールのことを耳にしたとき、自分も是非その本気を間近で感じたいと完全受け身で申し込んだはずが、私も箏のワークショップをさせて頂く、という驚きの展開です。 

新たに寄贈して頂いた箏も含め、箏10面持って参加してきました。 

いつも一緒に活動をしている小林篤さんと、今回は初参加の、娘の小林巴ちゃんと3人。 サマースクールの名前である「色えんぴつ」と絡めながら、箏の音と色風景が皆さんの心にほんわかと残るように、必死に準備を重ねてきました。

どうやったら、箏の音を感じてもらえるか、楽譜を抵抗なく受け入れてもらえるか、自分だけの音楽を創造してもらえるか。 考えることは数限りなくありました。  

優しい色のついた可愛い楽譜にするには…、絃が分かりやすく見分けられる色の並びにするには…。随分と試行錯誤しました。  

私は子供のころ、一番初めに箏を触った時、部屋中が色であふれた気がしました。 どうしたら、あの魔法のような空気が出来るかしら…  

当日、皆さん、目を少し大きくして箏の音を聞いていました。恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、箏に触っていました。
 箏も、恥ずかしいそうに、でも、とても優しい音を出していました。 

それはそれは優しく温かい時間でした。  

それにしても、そのサマースクールは、想像を上回る濃い時間でした。

 我々によるワークショップから始まり、美術家の中津川浩章さんのワークショップ、めちゃうまカレーライス、温泉、寝る前は作家の田口ランディさんが導く参加者による朗読劇、子どもたちが寝静まった後の飲み会、朝市、川沿い散歩、身体にしみる朝ごはん、音楽家の竹田えりさんのワークショップ、そして好きなこと(我々は箏コーナー担当)。
どのプログラムも、全力で感じることが出来るように、全力で身体を動かすことが出来るようになっていました。 

私もほぼ全部に参加しました。 
全身で学びました。 
全身で感じました。  

「やだ〜、やめたくない!」と箏から離れない子どもの声に、心の中で「私もやめたくない〜!」と地団駄を踏んだ、夏の思い出です。

2017-05-16

2017年5月16日

野坂操壽×沢井一恵 『変絃自在』in サンフランシスコ公演。オールスタンディングオーベーションに涙が出てきました。

その音色は人生をそのもの。その瞬間には長い時間が流れており、その一音はどこまでも広がり、そして光を放って溶けていきました。

3つのコンサートがあり、この1週間は目が回るようでしたが、それを支えてくれた、アメリカやタイ、オーストラリアで箏を広めるために活動しているメンバーはどんなにか大変な思いをされたことでしょう。身体をフルに働かしながら、常に屈託のない笑顔。開拓の苦労を知っているからこその優しさ。忘れてはならないという声が聞こえました。

そして、ほぼ初対面の人ばかり6人一緒の宿での生活。私以外はズバ抜けて出来る人たちばかり。緊張体質の私はどうなることやらと覚悟していましたが、1日目からグッスリ眠れたことがその日々を物語っているようです。「ラブリー」とはこういうことを言うのかしら?愛おしい時間をいつまでもいつまでも抱きしめたくなります。

知らない間にパスポートを、浜辺の脇の草むらに落として、知らないうちにパスポートを見つけて頂くというようなことが連続で相変わらずの私でしたが、もっと元気になり戻ってきました。

考えたいことが押し寄せてきます。でも、身体と心を止めることなく、頂いたエネルギーで今日からCD作りに励みます。それこそが考えたいことに繋がると信じて。

心いっぱいのありがとうを皆さまに!

2017-03-10

2017年3月10日

今日は風が賑やかに梢々を揺らしています。これが大きな楽器ならどんな和音を奏でるのだろうと目が離せなくなります。
光を帯びた音の粒が放たれているのが目に見えるようです。

ここ半月は録音機の前でにらめっこでした。

今年は、特別支援学校で高校一年生の時から箏の授業をお手伝いさせて頂いた生徒さんたちの卒業の年。
その生徒さんたちが箏の音色を好きになってくれたということで、私の箏の演奏を録音したものを卒業証書授与式で流してくれることになったのです。

校歌や、学校でよく歌った曲、授業で取り上げた曲、私が生徒さんのことを思って作曲した曲、合わせて9曲ほど。

授与式で、温かい空気になるよう、学校で過ごした友達や先生との日々を身体で懐かしんでもらえるよう、箏に合うようにアレンジし、録音を繰り返しました。

でも、それは簡単なことではありませんでした。
音だけで気持ちを表すのはなんて難しいのでしょう。
何十回録音ボタンを押すものの、思ったようなものは録れません。

生徒さん、先生方ひとりひとりのお顔を思い浮かべ、今までの授業を思い出し、優しい気持ちをなぞるようにしながら、何度も何度も弾き続けました。

今年の箏の授業もそれはそれは楽しいものでした。

「皆んな、一年ぶり、箏の佐藤センセイです!」
との小林篤先生のコールに、生徒さんがワァと歓声をあげてくれ、私も思わず手を上げての登場でした。

初めは箏が怖かった生徒さんも、爪をつけるのが難しかった生徒さんも、もう迷いなく箏の前に座ります。

そして初めから変わらないのは、音を出す時の気持ちの込め方です。箏に顔を近づけて、一本一本丁寧に絃を弾きます。

箏は簡単に音が出る楽器とはいえ、特別支援学校の生徒さんにとって、爪をつけて、かたく張ってある絃をはじくことは、それほど簡単なことではありません。
今やっていることに集中しないと、音が出ないのです。

ですから、生徒さんが出したその一音には、自然と心がこもっています。
たとえそれがどんなに小さい音であろうと、全身で弾いているので、音に力があるのです。
その人そのものといった音なのです。

最後の授業では、小林先生のギターと私の箏で「小さな世界」を演奏しました。

生徒さんと先生方が手を繋いでいるような空気の中で、しんとして聴いてくれ、涙を流してくれた生徒さん、一生懸命お礼を言ってくれる生徒さん、先生方と一緒に心のこもった拍手をしてくれました。そして、最後は皆んなで頑張って箏を持って片付けてくれました。

そんなことを思いながら録音をしていると、少しは心が感じられる曲も出てきました。

思いたって、2曲ほど、皆さんの心に寄り添ってきたに違いない小林先生のギターの音を入れてもらいに学校にも出かけて行きました。

もっともっとよいものをと思いつつ、時間切れでした。

それでも、最後までなんて多くのことを教えてもらえたのでしょう。なんて多くの宝物を頂いたのでしょうか。

そして、今日はその卒業式。

少しでも感謝の気持ちが伝わっていますように……。

これから先に広がる世界が、温かさと喜びに満ちたものであることを心から願って。






2017-01-02

2017年1月2日

明けましておめでとうございます。

新年1発目のいいこと。
昔から、音楽のリズムを言うのに「たかたか」「たったかたー」って誰が言い始めたんだろうと思ってました。
今日、「あたたかかったかな?」と何気なく口にした言葉に、あ、ここにも!
たたかったか、かたかったか、たかかったか、かかったか、…日本語の中に出てくる出てくる。
こういう生活していたら、たったかたー、って言いたくなってきますね。

今年もたったかたったー、楽しくなりそうです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

2016-06-19

2016年6月19日

この度の引越しを機に、自宅で箏を教え始めることにいたしました。

色んな思いはありますが、突き詰めれば理由はただ1つ。
それぞれが自分の中に響く音を知ってもらえたら嬉しいな。

おそらく私は、端から見ても恥ずかしいぐらい箏が好きですが、いつまで経っても上手に弾けるわけでもなく、うまくいかないことだらけで、それがストレスの元になることもあります。

またそれだけではなく、生きているといっちょまえに心が乱れるようなことも多々あります。

中国の昔の文人たちは琴を弾じることをよくしましたが、その一音には自分の心が現れ、その音を通じて自分を知ることも出来るようです。
私は自分の音に、人としての未熟さを思い、どう生きるべきかを考えさせられます。

でも、箏の前に座り、一音、そして一音とそれらが生まれては消えていくのと共にいると、不思議と心が安らかに慰められます。
山に生えていた大きな桐の木が、それぞれの声で空気を震わせます。大きな木のもとで柔らかな風に吹かれているかのようです。

人間としても演奏家としても未熟な私に教わる方には申し訳ない気がしますが、箏を通じて、木の声を、自分の声を一緒に聞いてくれる仲間となって頂けるとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

そんなことをひたすら考えているだけですので、普通のレッスンの形式にはならないかもしれません。
箏は個人個人に寄り添うもので、人によって必要とするものは違うように感じています。
もちろん、古典を中心として初歩からきちんと積み上げていくレッスンを基本としますが、単に箏を触ってみたい方には数回だけいらして頂き箏を感じて頂いたり、箏を学校で教えたい方には合奏に向いている曲を一緒にアレンジをしながら方向性を探ったり、とにかくお互いの心が躍るような時間にしたいと思っています。

箏と地歌三絃がセットになることが多いのですが、箏がある程度弾けるようになれば、三絃(三味線)と二十五絃箏のレッスンもいたします。

基本は、お稽古日は月曜木曜とし、月3回、1回1時間3千円といたします。それぞれお仕事などの事情がおありだと思いますし、月曜木曜にいらっしゃれない方は、お互いが合う日があればその日に。回数も1回からで、ワンレッスン1時間3千円とさせて頂きたいと思います。
お友達同士でいらして頂いても楽しいかもしれませんね。

旅先の1回でもどうぞ。


どんな音を見つけて頂けるでしょうか。
私の中の音もどのように変わっていくのでしょうか。
それを考えただけでも顔がほころんできます。



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2016-06-12

2016年6月12日

引越しをしました。

箏の練習を口実に、荷物の山を見て見ぬフリをしていましたが、目の前の山は動く気配なし。
やむを得ず荷ほどきを始めました。

こういう時に限って、懐かしいノートが目の前に現れるんですよね。
『道徳ノート』とやらが出てきました。
そういえば、小学校の時、道徳の授業がありました。ほとんど覚えていないのですが、ノートの内容からすると、ドラマ形式のテレビ番組を見た後に、感想を書いて提出するという授業だったようです。
多分適当に書いたであろう感想にも、先生の赤ペンの字が丁寧に添えられています。

道徳の最後の授業は、自分から自分への手紙を書くというものでした。
メモ書きとして、長所と短所が書いてあるのですが、長所には1つも書いておらず、短所がずらりと並んでいます。
その短所は今の私の課題でもあることばかりでガックリ。人類は進歩するのかという命題まで頭をよぎります。

そして、こんな手紙が書かれていました。

「康子さんから康子さんへの手紙

康子さん元気ですか?
入学からもう5年10ヶ月。
友達がたくさん出来て、とってもついていたね。
転校する悲しさも知らずに、とても良い環境に育ったね。
でも、今のクラスの3分の2の人が転校してきたことを忘れてはだめだよ。
他の人たちの気持ちも察してあげようね。

あなたは、少し人の気持ちを考えてあげる、優しい人にならなきゃだめよ。
口が悪い上におしゃべりだから、たくさんの人の心を傷つけているんじゃない?
このためにも、深くものごとを考えるようにしなくちゃね。

また、あなたは働こうとする気持ちが全くないわね。
そうじなど、不真面目すぎない?
まず、根気から作らなくっちゃ。

さて、中学に入ったら、一から新しい気持ちで過ごして、良い性格を作っていこうね。」

そして、先生の赤ペンの文字が、そうじの行の横に添えられています。

「不真面目というより、真剣味が欲しい」

……はい、先生、引越しのお片づけを真剣にやります!

2016-05-08

2016年5月8日

昨日、「伊福部昭百年紀 4〜十年祭に寄せて」コンサートでの奉納演奏を無事に終え、全身筋肉痛の真っ只中にいます。

実は、オーケストラ、声楽の方々の重厚感ある演奏の前に、箏という楽器を1人で演奏させて頂くということで、かなり緊張感ある日々を過ごしていました。

テクニカルな点でコンプレックスがある私は、自分の奏でる箏の演奏を、西洋のクラシックの世界の方々に「音楽」として扱ってもらえないような気がして、ある種の劣等感を抱いてしまっていたようです。

自分の血や肉は、箏の音色を本当に良いと思っていて、クラシックもジャズも関係なく「音楽」じゃないかと心から思っているのに、どこか自分で決めつけた枠に自分ではまりにいってしまうところがあるのでしょう。

クラシック界で歴史ある音楽之友社の「レコード芸術」で、私の演奏が入ったCDが特選盤に選ばれ、
「箏の演奏のみでのCDを本誌で扱うのは初めてだが、ギターがスペインの『国民楽器』であるように、箏は日本のそれであったはず。不思議な気がする」
と書いて頂き、アレッ、もしかしたら「音楽」として見てもらっているのかもしれないと頑な自分の心が動き始めました。

昨日のコンサートでは、箏の奉納演奏から始まり、なんの違和感なくオーケストラ演奏にうつり、伊福部先生への思いに貫かれた曲目と演奏が続き、最後感動的な「聖なる泉」のオーケストラ演奏で幕を閉じました。

コンサートが終わったあと、クラシック音楽に深く携わっている方々から、心のこもった言葉を多く頂き、その眼差しから、何の先入観もなく、箏を「音楽」として心で聴いてくださってくれたことが伝わり、その気持ちの震えにこちらの心がシンクロしました。

コンサートの前、友達に、「クラシックのファンの人に殺されちゃうかも」と冗談で言っていたのですが、そんな自分を心から恥じました。

心のどこかで自分を縛っているものを皆んながそっと少しずつほどいてくれているのを感じます。
今この世にいる人もいない人も含め、「音楽」を教えてくれる皆さまの優しい心に感謝します。

2016-03-20

2016年3月20日

ついに、CD「伊福部昭 二十五絃箏曲集」を手に取る日がやってまいりました。

最初にそのお話を頂いたのが、4年前ぐらいでしょうか。
伊福部作品をとにかく好きな気持ちだけでリサイタルで弾かせて頂いていたのですが、これは、あるリサイタルで「胡哦」を弾いた後に頂いたお話でした。

それは絵本の中の主人公に突然話しかけられたような気分で、目を白黒させながらも、浮きたつ気持ちを抑えきれなかったのですが、「好き」という気持ちは不思議な微妙さを持つものですね。

その絵本の中に自分が入ると、伊福部先生の深遠なる世界を壊してしまうのではないのかとの思いで足がすくんでしまったのでした。

リサイタルで弾いたとはいえ、それは生ならではの、別な価値観を持つもの。
私のちょっとした良さといえば、おそらく、思いが強く、緊張症を乗り越えてその場で死にものぐるいの演奏をし、それが何とか音に乗ることです。演奏そのものの精度などは話になりません。

録音用の練習を始めたら、案の定でした。どんなに練習しても思い通りにならず、かといって身体が壊れるまで練習したくても、録音当日に使い物にならなければ、イメージから更に離れるだけです。
その一歩手前という細い綱をそろそろと渡る緊張の日々でした。

それにしても、伊福部先生の二十五絃箏の作品は本当に難しい。
単に弾くだけでも難しいのに、単に弾くにとどまることを曲は許してくれず、深い理解を求めてきます。悩みすぎて、大きな大きなおもりを足につけ、ずるずると這うことしか出来ません。

好きであるということは、自分を動かす大きな原動力になります。私はそれだけで生きてきたようなものです。
でも、そこまで好きだと、現実とのギャップに鈍感になれず、一つひとつのことが自分に突き刺さりました。

結局、出口が見えないまま迎えた、ホールでの録音。
全てを天に任せるしかなく、こういう時だけ神頼みすることに、神さまは呆れ顔だったことでしょう。

録音が始まったら、やっぱり私は私以上のものではなく、コンサートの時のように、生まれ死ぬ一音に全てをこめるだけでした。

それももう2年前のこと、今だったらこう弾けるのに、ということもありますが、無我夢中のその演奏のあと、両脇がひどい火傷になったあの熱意がこのCDにはこめられているような気がして、愛しさがこみ上げます。

全てはこれからです。
このような得難い機会を与えて頂いたことの恩返しは、これからの自分を見て頂くしかありません。
ごまかさずに一歩一歩進むだけです。

好きであるということは好きであることでしか乗り越えられないのでしょうね。
そんな好きなことがあることに感謝して。

2016-02-09

2016年2月9日

伊福部昭十年祭記念会「伊福部昭綴るII」(小林淳著)出版記念会にて奉納演奏させて頂きました。
全国各地から伊福部先生に思いを強く持ってらっしゃる方々が集まり、皆で色んなものに耳を傾け、感じ合う時間となりました。

伊福部先生と皆さまの歴史は長く、30年、40年、お互いに交流を深めていらしたそうです。それぞれ、もう阿吽の呼吸でやり取りしています。
きっかけはクラシック、怪獣映画のだいたい2つに分かれるようですが、皆さま伊福部音楽に魅了され、それが人生の一部になっている方々ばかりです。

私は、20年前に初めて伊福部先生作曲の箏曲を聴き、深く潜っていきながら高揚していくような不思議な感覚に覆われ、感動と興奮で、コンサートが終わったら目の血管が切れていたことが始まりです。その後25絃箏に転向し、10年前からほぼ毎年リサイタルで伊福部作品を弾かせて頂くようになりました。
最初に演奏させて頂いたのが、伊福部先生が亡くなった年で、それこそ雲の上の方であり、私は楽譜を通じてひっそりと先生と交流してきました。

音楽というものは何か、民族とは、歴史とは、哲学とは……
これらのことを少しずつそのひそやかな交流から学んできました。
そして、もっとシンプルなところで、伊福部音楽に揺り動かされる肉体と心。
私にとっての恩師とも言えるような気がします。

新参者の私ですが、このたびの記念会でもとても温かく迎えて頂きました。
伊福部先生にご恩返しをする機会として、肩に力が入ってしまう私を、ご子息の伊福部極さま初め、企画された伊福部昭百年紀の方々が優しく励ましてくださいました。
全国からいらした伊福部ファンの皆さまも熱く柔らかく、その方々とお話出来たのも忘れ得ぬこととなりました。
緊張していたのに、大口開けて笑っている写真ばかり残っているのは、演奏云々を越えた嬉しさによるものですね。

今回のことで、また色々と考えることがありました。
それはまたおいおい書かせて頂きたいと思います。

2016-01-11

2016年1月11日

今年は私がその音楽を愛してやまない作曲家伊福部昭が亡くなって十年目にあたる年。
伊福部家は由緒ある神官の家系なのですが、神道では、歿後十年でご先祖様の仲間入りをされるそうで、盛大にお祝いするそうです。

この十年祭のお祝いと文筆家の小林淳さんの『伊福部昭綴るII』出版記念パーティーが2月7日に行なわれます。
そこで畏れ多くも奉納演奏させて頂くことになりました。来月、十年祭を記念して出されるCDで弾かせて頂いた「胡哦」を演奏いたします。

先日実行委員長の鈴木正幸さんをはじめ、関係者の皆さまにお会いしたのですが、自我のない、その思いの強さに心を大きく動かされました。何かが起こる時間になるように感じます。

ご興味おありの方、ご出席頂けましたら嬉しいです。小林さんのご本、第一弾が素晴らしく、今度はその第二弾。これも楽しみでたまりません。


以下、実行委員長の鈴木正幸さんによるご案内の文章です。

2016年は、日本楽壇の泰斗かつ日本映画音楽界の巨人 伊福部昭(1914-2006)の歿後10年の節目の年にあたります。神道では歿10年を〈十年祭〉として盛大に謳い、故人を偲びます。スリーシェルズ、伊福部昭百年紀も種々様々なコンサート、イベントに関わっておりますが、ご長男の伊福部極氏の製作による十年祭CDの製作報告、並びにスリーシェルズ所属の小林淳による『伊福部昭綴るII』の刊行をご紹介し、「伊福部昭十年祭」を新宿で開催します。

●伊福部昭百年紀主催「伊福部昭十年祭──『伊福部昭綴るII』刊行ー」開催決定お知らせ●


日本楽壇の泰斗かつ日本映画音楽界の巨人であります伊福部昭先生(1914-2006)がご逝去されましてから早10年が経過いたします。2016年は伊福部先生の歿後10年の大きな節目の年にあたります。神道では歿10年を〈十年祭〉として盛大に謳い、故人を偲びます。それに呼応いたしまして音楽界におきましても種々様々なコンサート、イベントが企画されております。

伊福部昭百年紀も昨年(2014年)の〈伊福部昭生誕百年〉のムーブメントの一端を担わせていただきました経験をふまえまして、〈十年祭〉でも伊福部先生のご業績を後世に伝え、ファンの皆様に楽しんでいただけるような催し物を鋭意企画しております。

つきましては、その一環といたしまして、司会に井上誠氏をお迎えし〈伊福部昭十年祭〉を迎えます2016年2月8日の伊福部先生のご命日に合わせ、伊福部昭百年紀による「伊福部昭十年祭」記念会を企画いたしました。また、伊福部昭百年紀スタッフの一人であります小林淳(映画関連文筆家)が〈伊福部昭十年祭〉記念企画として編集いたしました『伊福部昭綴るII──伊福部昭 論文・随筆集──』(ワイズ出版刊)が2月初旬に全国発売の運びとなります。その出版のご紹介も兼ねまして、伊福部先生のファンの皆様、伊福部先生ご関係者の皆様とともに、〈伊福部昭十年祭〉に祝意を捧ぐ会を挙行させていただきたいと存じます。

当日は伊福部家ご長男・伊福部極様を主賓にお招きいたしまして、十年祭CDの製作報告等々、皆様とご一緒に伊福部先生の思い出、伊福部昭先生が遺されました音楽遺産に想いを馳せるお話などで楽しい時間を過ごしたいと思っております。開催会場の「中国料理 桃里」は、極様がご両親とお食事を楽しまれた思い出のお店と仄聞いたしております。伊福部先生が舌鼓を打たれたお料理を味わいながら、皆様と〈伊福部昭十年祭〉をお祝いいたしましょう! 多くの伊福部先生ファン、伊福部音楽ファンの皆様のご参加を賜りたく、ここに謹んでご案内をさせていただきます。

日時:2016年2月7日(日曜日)/12:00開始(受付:11:45)より(2時間ほどを予定)

場所:ホテルオークラレストラン新宿「中国料理 桃里」 (〒163-0550 東京都新宿区西新宿1-26-2 新宿野村ビル48FコンファレンスB(貸し切り)/電話03-3345-0598)

会費:10,000円(当日、受付にして頂戴いたします。なお、会費には当日配布されます『伊福部昭綴るII──伊福部昭 論文・随筆集──』代金も含まれます)

本会のご参加には事前予約が必要となります。ご参加希望の方は伊福部昭百年紀:鈴木正幸までご連絡をお願い申し上げます。

申込み先:urano-rakuda@ezweb.ne.jp

上記アドレスにタイトル「伊福部昭十年祭 記念会」と明記され、本文にご芳名、ご連絡先、参加人数等をご記入され、お申し込み下さいませ。

本会はスリーシェルズ・西耕一、鈴木正幸、小林淳、矢内露紀等、2015年5月の新宿都庁における「宝田明:盤寿を祝う会」、10月のクルーズクルーズ池袋店における「中野昭慶:傘寿を祝う会」のスタッフが運営に携わります。伊福部昭百年紀では当日、複数のサプライズを企画しておりますので、こちらのほうにもご期待をお寄せいただきたいと思っております。
なお、堅苦しさのない、ざっくばらんとした打ち解けた会にしたいとの私どもの想いもございまして、当日は平服でご来場いただきたく、お願い申し上げます。

皆様のご参加を伊福部昭百年紀一同、心よりお待ち申し上げております。

伊福部昭百年紀
お問い合わせ 担当:鈴木正幸 TEL090-1421-8931


2016-01-06

2016年1月6日

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今年の元日明けは山寺へ。
小学生低学年の時に一回行ったきりです。
階段がいつになっても目の前に立ちはだかり、でも、性格的に弱音は吐けず、心の中で「もうここには来ないぞ」とこっそり誓いました。

それからン十年。山寺のニュースを見るたびに、「みんなよく行くな」とあの日の誓いを思い出していました。
岩登りで山寺の麓に行ったこともありましたが、クライミングの合間に、目の端で崖の上のお寺を追うだけ。その時登っている岩よりもはるかに高く厳しいものに感じたのでした。

ところが、つい、山寺に行ってしまいました。
調子に乗る性格ゆえの成り行き、なのですが、良く言えば、昨年向き合った歌のコンプレックスのことがあったのかもしれません。

充分な装備をして、いざ出陣!
…と、思ったら、20分後には頂上に着いていました。

呆気にとられてしまいました。
ずっと頭の中でそびえ立っていたあの山はどこ?

頂上を目の前にして現れる最後の階段では、1段上るごとに煩悩が1つずつ減っていくのだとか。
だいぶ辛くなってきて、あれこれ考える余裕がなくなってくる頃に現れる階段です。
1段上がるごとに考えられることが1つずつ減っていき、そうして考えることを1つずつ落としながら前に進む力を得ているといった感じです。

ということは、煩悩は、人が考える力を持ったがゆえに持たされてしまったものだということなのでしょうか。
考えるということは自分のかけがえのない財産ではありますが、考えるからこそ煩悩の元になるものが生まれ、考えるからこそその煩悩に気がついて苦しみ、そしてその場で足踏みをします。

最後の階段を上りきった時、そんなことだけを考えていました。

そうでした。考えたからこそ、葛藤を生み、山寺にも登りたくなかったのです。
でも、本当は20分で登れるところでした。

さて、では、考えなければいいのか。
いや、考えなければ向かうべきところすら見えません。

考えるということをどのように考えるか。

…さあて、今年は何をしようかな。

なんて、余裕なことを言っていますが、次の日は筋肉痛で歩くのすら大変でした。
まずは身体を鍛えた方がいいですね。