色んな思いはありますが、突き詰めれば理由はただ1つ。
それぞれが自分の中に響く音を知ってもらえたら嬉しいな。
おそらく私は、端から見ても恥ずかしいぐらい箏が好きですが、いつまで経っても上手に弾けるわけでもなく、うまくいかないことだらけで、それがストレスの元になることもあります。
人間としても演奏家としても未熟な私に教わる方には申し訳ない気がしますが、箏を通じて、木の声を、自分の声を一緒に聞いてくれる仲間となって頂けるとしたら、こんなに嬉しいことはありません。
そんなことをひたすら考えているだけですので、普通のレッスンの形式にはならないかもしれません。
箏は個人個人に寄り添うもので、人によって必要とするものは違うように感じています。
もちろん、古典を中心として初歩からきちんと積み上げていくレッスンを基本としますが、単に箏を触ってみたい方には数回だけいらして頂き箏を感じて頂いたり、箏を学校で教えたい方には合奏に向いている曲を一緒にアレンジをしながら方向性を探ったり、とにかくお互いの心が躍るような時間にしたいと思っています。
箏と地歌三絃がセットになることが多いのですが、箏がある程度弾けるようになれば、三絃(三味線)と二十五絃箏のレッスンもいたします。
旅先の1回でもどうぞ。
おそらく私は、端から見ても恥ずかしいぐらい箏が好きですが、いつまで経っても上手に弾けるわけでもなく、うまくいかないことだらけで、それがストレスの元になることもあります。
またそれだけではなく、生きているといっちょまえに心が乱れるようなことも多々あります。
中国の昔の文人たちは琴を弾じることをよくしましたが、その一音には自分の心が現れ、その音を通じて自分を知ることも出来るようです。
私は自分の音に、人としての未熟さを思い、どう生きるべきかを考えさせられます。
私は自分の音に、人としての未熟さを思い、どう生きるべきかを考えさせられます。
でも、箏の前に座り、一音、そして一音とそれらが生まれては消えていくのと共にいると、不思議と心が安らかに慰められます。
山に生えていた大きな桐の木が、それぞれの声で空気を震わせます。大きな木のもとで柔らかな風に吹かれているかのようです。
山に生えていた大きな桐の木が、それぞれの声で空気を震わせます。大きな木のもとで柔らかな風に吹かれているかのようです。
人間としても演奏家としても未熟な私に教わる方には申し訳ない気がしますが、箏を通じて、木の声を、自分の声を一緒に聞いてくれる仲間となって頂けるとしたら、こんなに嬉しいことはありません。
そんなことをひたすら考えているだけですので、普通のレッスンの形式にはならないかもしれません。
箏は個人個人に寄り添うもので、人によって必要とするものは違うように感じています。
もちろん、古典を中心として初歩からきちんと積み上げていくレッスンを基本としますが、単に箏を触ってみたい方には数回だけいらして頂き箏を感じて頂いたり、箏を学校で教えたい方には合奏に向いている曲を一緒にアレンジをしながら方向性を探ったり、とにかくお互いの心が躍るような時間にしたいと思っています。
箏と地歌三絃がセットになることが多いのですが、箏がある程度弾けるようになれば、三絃(三味線)と二十五絃箏のレッスンもいたします。
基本は、お稽古日は月曜木曜とし、月3回、1回1時間3千円といたします。それぞれお仕事などの事情がおありだと思いますし、月曜木曜にいらっしゃれない方は、お互いが合う日があればその日に。回数も1回からで、ワンレッスン1時間3千円とさせて頂きたいと思います。
お友達同士でいらして頂いても楽しいかもしれませんね。
旅先の1回でもどうぞ。
どんな音を見つけて頂けるでしょうか。
私の中の音もどのように変わっていくのでしょうか。
それを考えただけでも顔がほころんできます。
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