「ごきげんよう」
「さようなら」
最近のマイブームと言えば、これです。
これは、朝の連ドラの「花子とアン」でのお別れの挨拶です。
語りの美輪明宏のこれを聞いたとき、その数文字しかない中での表現の豊かさに背筋がゾーっとしました。
私は美輪さんのトゥーマッチさがあまり得意ではなく、遠目で見ている方なのですが、これには完全に脱帽。
それにしても、自分が何に脱帽しているかもよく分からず、それがなんとも歯がゆいのです。
「ごきげんよお」
いやいや。
「ごきげんょう」
似てない。
「さよ〜なら」
いや、違う。
「さよぉなら」
ちょっと近い?
「さょうなら」
全然ダメだ。
というのを、うるさがられながら、毎日繰り返しています。
もう八月になるというのに、なかなか近づけない。美輪明宏、凄すぎる…。
今では、私は「花子とアン」という番組を見ているというよりは、「ごきげんようとさようなら」という番組を見ている気分です。もちろんクライマックスは、最後の数秒。
最近気に入って読んでいる、鴨下信一さんの「日本語の呼吸」で、日本語は頭の文字で音色を使い分けるのが難しく、二文字目で表情をつけると表現が豊かになるのだと書いてありました。それもはっきりとした理由はまだ分からないのだけれど、うまい語り手は無意識にこれをやっているのだとか。
日本語の二字起こし。
四ヶ月目にして大きなヒントをもらい、美輪明宏のを改めて聴いてみました。
あ、「ごきぃげんよぅ」になってる!
二文字目の「き」に軽い揺れが感じられます。
わ、「さよぉうなら」になってる!
二文字目の「よ」に優しい吐息が吹きかけられています。
もちろん全ては美輪さんがこめている心の問題なのだと思っているのですが、ちょっとだけ真似が出来るようになるにつれ、それがいか程大変なことなのかが少しずつ分かりつつあります。
あと三週間で終わり。
脱帽のナゾにどこまで近づけるかしら。