めったにお目にかかれないような飴細工が見られるということで、大国魂神社のくらやみ祭りに行ってきました。
神霊は人目に触れてならないというこのお祭のメインイベントは夜に行なわれるのですが、それよりずっと前の真っ昼間にも拘らず、飴細工師の坂入尚文さんの屋台の周りは人で賑わっていました。
かっぱ、ねこ、へび、たこ、ねっしー、ごじら…などと書かれた札が上にかかっています。
その下から、ちょっと怖そうな細長い顔が見えました。無愛想なその雰囲気におそれをなしているのか、親に連れられた子供たちは、親の手をしっかり握りながらも、その手から生みだされるものに釘づけです。
お父さんにせかされて、前の女の子がお父さんの耳元で「ペンギン」と言いました。
飴を作りながら、「ペンギン、何色がいいかい?女の子だから、ピンクかい?」
優しい声です。
モジモジしている女の子に向かってお父さんが「ペンギンなら青だな」と言うと、女の子は一生懸命首を振って、思い切って「ピンク」と口にしました。
缶の中から白い熱い飴を指でつまみ、紅の色を混ぜ合わせてピンクの玉を作って、棒にくっつけます
「熱くないの?」の声に、
「熱いさ。指紋なんてなくなっちまったよ」
皆が息を詰めて見守る中、冷めないうちに、指や鋏をキュッキュッと使って、頭が出来、足が出来…つぶらなおメメを入れて、
「はいよ」
音楽と美術の大きな違いは、時間とともに消えゆくものかどうかだと思っていましたが、飴細工は、体内に入れて消えゆくものとして、音楽に近いのかもしれない…
連れの一人が海老をお願いしました。
「エビかい。面倒だなあ」
目のふちが笑っています。
「今日はエビフライにしちまおうかなあ」「こうやればしまいだよ」
細長くした飴の尾っぽだけをクイッとしています。
そこをなんとか、と頼みこみ。
そこから早業で、足が生え、頭のトゲトゲが出来、口がピョンと割れ、
「はいよ」
坂入さんは「間道」という本を書いていて、そのテキヤとしての人生を綴っています。言葉一つとておろそかにしていないその文章からはその生き様が伝わってきて、居住まいを正されるとともに、その文章から漂ってくる香りに足を崩したくもなります。
自分も音楽とともにどのように生きていくか。いや、音楽とか美術とかそんな分類自体バカバカしいのかな。
一回その場を離れたら、あまりの人混みで自分の飴は作ってもらいに行けませんでした。
一口舐めさせてもらったその飴は、飴から手作りしている混じり気のないもので、遠くからそっとやってくるような甘さでありました。