どうでも良いことのようで、実は見過ごせない問題をはらんでいることがあります。
以前、道を歩いていたら、前から足取りがおぼつかないおばあさんが歩いてきました。隣に娘さんらしき人がいて、ずっと支えながら歩いています。
歩くのも大変そうだなあ、娘さんお優しそうだなあ、と思っていたその時、そのおばあさんが私の顔を見て、震える手で私を指差しながらモゴモゴ言っています。
お具合でも悪いのかと、「大丈夫ですか?」と駆け寄り、娘さんも「どうしたの?」と肩に手を回しています。
「…ボ、ボタンが…」
ハッと自分の服を見たら、ボタンが一個ずつズレていました。
おばあさんは私のボタンの掛け違いを教えてくれていたのでした。
顔を赤らめてお礼を言う私に、
「…フ、ファッションかと、お、思ったんだけど…」
と、ものすごく気を遣ったお言葉。
大丈夫かと心配していた自分に恥じ入るばかりです。
そう、私の得意技は「ボタンの掛け違い」です。
ボタンがあるものは、かなりの確率で掛け違います。
久しぶりで会った友人に、開口一番、「やっちゃん、ボタン!」と指差しで言われたこともあります。
先日も指摘されて見た時、カーディガンの一番上のボタンを一番下のボタン穴にかけていて、自分のことながら呆れ果てました。
普段からうわの空でやることが多いのでしょうね。
いつも考え事をしているから、と笑って誤魔化していますが、皆が当たり前のように出来ることがなんで出来ないのでしょう。
物事がうまくいかなくなる原因として、「ボタンの掛け違い」という形容をよくします。
些細なすれ違いから端を発して、悪い結果が生じる時に使いますが、よく考えてみると、物事がうまくいかない時は、これが当てはまることが多いような気がします。
まず一つ目のボタンなのでしょうね。
膨大な手続きを無意識にこなす日常生活でも、一つ目のボタンさえきちんとかけられれば、残りはトントンと正しくはまっていくはずなのです。
私は物事の出だしに対する意識が薄いということなのでしょう。
あのおばあさんが「物事を始める時には心を入れてね」と教えてくれたと思えば、もうちょっと気をつけられるかしら。