これが問いになることがあるとは思ってもみませんでした。
昨年末、泉岳寺の義士祭で奉納演奏をさせて頂きました。
赤穂浪士といえば、その悲劇的なドラマが年末の恒例となっていますが、泉岳寺には赤穂の義士のお墓があり、討ち入りの12月14日に義士祭を催します。
そこでの奉納演奏でした。
事前に受けた説明によると、本堂にはお客さまを入れず、釈迦如来像に向かって私が相対し奉納の演奏をするのをお坊さまが見守るとのこと。
曲目も全て任されていました。
義士の方々の霊を慰めるものであれば何でもいいです、と。
いつもは、お客さまがいて、場があって、自分がいる。そんな流れで自然と曲が決まるものですが、さて、今回のお客さまは誰なんだろう。
境内には私の演奏が流れるのですが、お賽銭箱にお賽銭を投げ入れる参拝客には完全にお尻が向いており、明らかにそちらに向かっての演奏ではありません。
私の演奏を誰が聴いてくれるのだろう?
そのお客さまを見極める手がかりを探すために、まず義士博物館から。
一つ一つのものを丁寧に見ていくと、遠くにあった物語が、我がこととして少しずつ近づいてきます。四十七士、若者ばかりです。信念を貫く、と言ってもそもそも誰の信念か、そんな迷いもあったはず、と、何かこみ上げてくるものがあります。
そして、墓所へ。
一歩踏み入れ、アッと後ずさりました。
足の爪先から、圧縮された気の塊のようなものが、うごめきながら這い上がってくるのです。
いやいや、思いこみだと、いったん墓所の外へ出て一息入れ、気を取り直して、そっと扉を開けるようにしながらまた一歩。
やはり足先から膝を伝って、細かく震えているようなものが張り付いてきます。
最後のお墓に辿り着いた頃には、酷い風邪の時の悪寒のようなものに全身が覆われてしまっていました。
しかし、一歩墓所を出たら、嘘のようにそれが消えていきました。
その時、私のお客さまが分かったような気がしました。
私は、そういう者たちの哀しみを思って、このお話を頂く少し前に「嗟歎」という曲を作っていました。
何かがあるのかしら……
当日は日曜に重なったこともあり、すごい人出となりました。
薄暗い本堂の中、目の前にいるのは釈迦如来ばかり。
お坊さまがたは気配を消しつつ、あちらこちらにいらっしゃるようです。
広いお堂の中で、音を伝えるにはものすごい力が必要でした。
そこにいる何者かが抱いている思いを身体に感じることだけに意識を集中し、たまに聞こえてくるお賽銭のチャリンチャリンの音も段々聞こえなくなったある瞬間、音がパーッと渡ったのを感じました。
あ、聴いてもらっている。
そう確かに感じました。
終わったら、境内からの参拝客の拍手に、その青ざめた薄暗い空間が我に返ったようでした。
普通の日常がそこにありました。
お坊さまがたの感動しましたの言葉が妙に心に沁みましたが、私に向けられていたようで、私だけに向けられていたのではないのですよね。
考えてみれば、太古、「こと」は祈りに寄り添う楽器。
聴く人は魂を持つもの。
これが本来の姿であったのかもしれません。