諺通り、1月は往き、2月は逃げてしまいましたが、それは喜びに満ちた2カ月でした。
古くからのクライミングの友人の小林センセイに声をかけて頂き、センセイが先生をしている横浜の特別支援学校で高一の音楽の授業のお手伝いをすることになったのです。全6回の日本音楽の授業です。
生徒たちにきっと、ヤッちゃんの演奏にこめられた心が伝わるはず。
とのありがたい言葉に、そうであってほしいという気持ちと、センセイの愛する生徒さんに会う前から愛しい気持ちとが湧いてきて、出来る限りのことをしようと心に決めたのでした。
長い間学校教育に邦楽を取り入れようと尽力された茅原さんの家に小林センセイと訪ねたり、お世話になっているお箏屋さんの中嶋さんに楽器を集めて頂いたり……
迎えた1回目。
小林センセイに言われました。
生徒たちにどのくらいのことが出来るかが分からないので、毎回の授業で試行錯誤しつつ最終的な方向性を考えていくんだよ。
その時その時に感じることを大切にし、とにかく心を開いたままにしようと決めました。
まず何が驚いたかというと、先生方の熱心さでしょうか。
対応しなければならないことがあまりに多いので、21名の生徒に15人の先生がつくのですが、1人1人に必要な能力を高めるということを常に考えながら温かく接しているのがよく分かるのです。
音楽の授業も、5分おきくらいに行うことが予め考えられており、それを自然に進めていきます。唄ったり、踊ったり、鑑賞をしたり、楽しめるようにそれぞれがかなり工夫されていて、唸らされます。
さて、初めての箏の登場。
色んな気配を感じましたが、興味津々、というのがちょっと上回った感じでしょうか。
そして初めての箏の音色。
それはそれはシーンとして耳を傾けてくれています。
「ブラボー!」
弾き終わった瞬間に右手を上げてぴょんと立ち上がってくれた男の子がいました。
なんて嬉しいこと。
私もこれから心が弾んだらこうしよう。
いざ全員が順番に箏を弾く段になりました。
爪を親指につけるのがなかなかうまくいきません。爪をどうにか押さえながら、腕の力を抜いて箏の上に落とすと……
出ました!
1人1人全く違う音です。
楽しんでいる人は楽しい音、力を入れている人は力の入った音、怖がっている人は怖がっている音、何も考えずに手を振り下ろした人は無心の音。
どの音もとっても愛しいのです。
音に優劣はないのでした。
その時のその心が美しいのであり、その時にその音を出すことが美しいのです。
そして、音が出た後の、誰に向けることのない笑み。
フワッとした心の動きの発露。
あー、私もこういう笑顔でありたい。
こんな風に始まった授業でした。
小林センセイに励まされ、その時々で箏に対する私の思いを言葉にもしてみました。詰まる私の声にも、耳がずっとこちらを向いています。
毎回することを少しずつ変えると、新しい世界に身を置くことに喜びを感じてもらえているようでした。
鑑賞では私が演奏させて頂くことが多かったのですが、昔の曲と今の曲、1人の曲と合奏曲などを楽しんでもらえるよう色々アレンジしたり、生徒の皆さんと先生方の輝いている様子をイメージしながら作曲したり……
皆んなも徐々に箏に慣れ、途中卒業生を送る会で唄と踊りと箏で出し物をするというイベントを挟みながら、授業は名残惜しいままに終わりました。
最後にある先生が教えてくれました。
ベルを鳴らすことさえ難しい生徒も、腕の力を抜いて落とすだけで綺麗な音が鳴る箏は弾けるようなのです。自分の手で音を鳴らしていることが分かり、自分から手を動かしているんです。
そうなんです。
私も初めて気がついたのです。
自分がなかなかうまくいかないことから箏は気難しい楽器だと思い込んでいたのですが、本当は箏はやさしい楽器だったのでした。
すぐに綺麗な音の出る、易しい楽器であり、優しい楽器だったのでありました。
全てに感謝をしつつ。