空気の手触りがはっきりしてきて、草木の輪郭が浮き出てきました。
コンサートからもう半月。思い返してみると、そんな筈はないのに、野分に吹かれていたようにも、また、夕凪の中にいたようにも感じます。
今年も舞台の演出は、陶芸家の川合牧人さんと、華道家の手島久子さんにお願いしました。
昨年の大胆な竹の舞台は、少し浮き立つ気持ちと共に、色鮮やかな映像としてまだそこにあります。
今回お願いしたのが約半年前。
今年の会場である求道会館は、正面に阿弥陀如来像が立つ六角堂が独特の雰囲気を醸し出しており、それだけで完成された空間になっています。
ここにどのような舞台美術を施すのか…。全く想像出来ないままに、川合さん、手島さんと共に二回、三回と会場に通いました。
模型も作って頂きながら、かなりの試行錯誤を重ねて頂いたようです。
最終的に、ほうきぐさとなんらかのお花を組み合わせたものにしますと言われました。
ほうきぐさと組み合わせるお花はどんなのがいいですか?
私が弾きやすい舞台になるようにというご配慮で、私が好きな花を聞かれました。
花といえば、可憐なムラサキツユクサが好きなのですが、実は、私にとって一番思い入れがあるのは、ススキの穂が揺れている中に萩の花が見え隠れする秋の野です。
そのことを口にしようと思ったものの、自由な中でのご判断を信じ、そのまま呑み込みました。
当日、まるで、ほうきぐさが林立する秋の野に佇んでいるようでした。
ほうきぐさの中に見え隠れする花は、萩の花を思わせる色合いを持つものでした。
思わずニッコリしてしまいました。
リハーサルでは、表情豊かな白礫釉を履いたほうきぐさ達の持つ気配が人間のそれとあまりに似ていて、何回も顔を上げて確かめてしまったのですが、本番では更に多くの人の温かみが加わり、六角堂の立つ秋の野に、人も草木も同じものとして存在することを思いながらその場にいました。
全ては自然の一部であることを感じていました。
自然であることは至難の技ですが、自然にあることは出来るのだということが大きな意味を持ち始めています。