どうでも良いことのようで、実は見過ごせない問題をはらんでいることがあります。
以前、道を歩いていたら、前から足取りがおぼつかないおばあさんが歩いてきました。隣に娘さんらしき人がいて、ずっと支えながら歩いています。
歩くのも大変そうだなあ、娘さんお優しそうだなあ、と思っていたその時、そのおばあさんが私の顔を見て、震える手で私を指差しながらモゴモゴ言っています。
お具合でも悪いのかと、「大丈夫ですか?」と駆け寄り、娘さんも「どうしたの?」と肩に手を回しています。
「…ボ、ボタンが…」
ハッと自分の服を見たら、ボタンが一個ずつズレていました。
おばあさんは私のボタンの掛け違いを教えてくれていたのでした。
顔を赤らめてお礼を言う私に、
「…フ、ファッションかと、お、思ったんだけど…」
と、ものすごく気を遣ったお言葉。
大丈夫かと心配していた自分に恥じ入るばかりです。
そう、私の得意技は「ボタンの掛け違い」です。
ボタンがあるものは、かなりの確率で掛け違います。
久しぶりで会った友人に、開口一番、「やっちゃん、ボタン!」と指差しで言われたこともあります。
先日も指摘されて見た時、カーディガンの一番上のボタンを一番下のボタン穴にかけていて、自分のことながら呆れ果てました。
普段からうわの空でやることが多いのでしょうね。
いつも考え事をしているから、と笑って誤魔化していますが、皆が当たり前のように出来ることがなんで出来ないのでしょう。
物事がうまくいかなくなる原因として、「ボタンの掛け違い」という形容をよくします。
些細なすれ違いから端を発して、悪い結果が生じる時に使いますが、よく考えてみると、物事がうまくいかない時は、これが当てはまることが多いような気がします。
まず一つ目のボタンなのでしょうね。
膨大な手続きを無意識にこなす日常生活でも、一つ目のボタンさえきちんとかけられれば、残りはトントンと正しくはまっていくはずなのです。
私は物事の出だしに対する意識が薄いということなのでしょう。
あのおばあさんが「物事を始める時には心を入れてね」と教えてくれたと思えば、もうちょっと気をつけられるかしら。
2014-05-28
2014-05-22
2014年5月22日
終わりがそこにありました。
人形浄瑠璃文楽の太夫の竹本住大夫さんの引退、その日がやってきてしまいました。
八十九歳での引退という人間離れしたものでしたが、生きている限り語り続けるのだろうと信じているところがあっただけにショックでした。八十九歳の引退が予想外である、という一事だけでも、それまでの生き方は推して知るべしです。
私も邦楽をする者の一人ですが、文楽での語りは、他の邦楽のジャンルと一線を画するような激しさがあります。
ある意味無機質である人形に対して、生々しく情を唄いあげます。裸での演奏です。いや、演奏、という言葉も不似合いなくらい、魂と直結した行ないです。
その言葉が上っ面のものにならないように、太夫はお腹に重りを下げて、爪先立ちで座り、肚に力を入れます。
一音発するにも鬼気迫るような語りは、邦楽のあるべき姿を考えさせるものです。
住大夫さんの語りには、深く頷きたくなるような力があります。
悪声な上に物覚えも悪く、師匠に叱責される日々だったそうですが、師匠が及び腰になるほど稽古を重ねたと言います。文楽が好きでたまらず、もっと良くなるはずとの一念で作り上げてきたのです。
八十七歳で脳梗塞になって、泣きながらもリハビリを続け、舞台に復活したのは、若い頃からのその一途さと執念の賜物だったのでしょうか。
不器用を自認する住大夫さんの凄味のある語りに、不器用な私は物言わぬメッセージを受け取り、それを励みにしてきました。
まだまだ現役でいけるだろうと思って劇場に向かった私ですが、行きで目にした緑の鮮やかさのせいか、対面した住大夫さんの姿に、やはり引き際がやってきたのだと瞬間に悟らざるを得ませんでした。
終わりは頭で理解するものではなく、そこにあると感じるものなのだということも分かった時でもありました。
人形浄瑠璃文楽の太夫の竹本住大夫さんの引退、その日がやってきてしまいました。
八十九歳での引退という人間離れしたものでしたが、生きている限り語り続けるのだろうと信じているところがあっただけにショックでした。八十九歳の引退が予想外である、という一事だけでも、それまでの生き方は推して知るべしです。
私も邦楽をする者の一人ですが、文楽での語りは、他の邦楽のジャンルと一線を画するような激しさがあります。
ある意味無機質である人形に対して、生々しく情を唄いあげます。裸での演奏です。いや、演奏、という言葉も不似合いなくらい、魂と直結した行ないです。
その言葉が上っ面のものにならないように、太夫はお腹に重りを下げて、爪先立ちで座り、肚に力を入れます。
一音発するにも鬼気迫るような語りは、邦楽のあるべき姿を考えさせるものです。
住大夫さんの語りには、深く頷きたくなるような力があります。
悪声な上に物覚えも悪く、師匠に叱責される日々だったそうですが、師匠が及び腰になるほど稽古を重ねたと言います。文楽が好きでたまらず、もっと良くなるはずとの一念で作り上げてきたのです。
八十七歳で脳梗塞になって、泣きながらもリハビリを続け、舞台に復活したのは、若い頃からのその一途さと執念の賜物だったのでしょうか。
不器用を自認する住大夫さんの凄味のある語りに、不器用な私は物言わぬメッセージを受け取り、それを励みにしてきました。
まだまだ現役でいけるだろうと思って劇場に向かった私ですが、行きで目にした緑の鮮やかさのせいか、対面した住大夫さんの姿に、やはり引き際がやってきたのだと瞬間に悟らざるを得ませんでした。
終わりは頭で理解するものではなく、そこにあると感じるものなのだということも分かった時でもありました。
2014-05-14
2014年5月14日
今年ももう半分の終わりが見えてきました。終わりは始まりの予感を含むもので、なにか駆り立てられるものがあります。
いよいよ秋のリサイタルに向けて動き出す時がやってきました。
どういう空間で聴いて頂きたいか、そして、自分がどこで演奏をしたいか。あちこち探し歩いたのですが、先日伺った「求道会館」の佇まいに心惹かれ、その場でお願いし、快く承諾して頂きました。
求道会館は、百年程前に近角常観師が、西洋の宗教事情を踏まえつつ仏教界の刷新を目指し、その説法の場として建てた建物です。建築したのは、ヨーロッパ近代建築を取り入れながら古建築修復にも力を入れた、当時の新進気鋭の建築家武田五一氏です。
新しいものにしても古いものにしても、モノに対する人の思いは目に見えるものだと信じている私ですが、この建物に足を踏み入れた時に、それが色濃く見えた気がしました。
近角常観師は、アインシュタインが日本を訪れた際に対談し、仏教の心について触れ、アインシュタインは涙を浮かべてそれを聞いたという話が残っています。
「神とは人間の弱さの表れにすぎない」との書簡も残っている無神論者のアインシュタインですが、仏教に根ざす日本人の慈悲の心に触れられたことが日本での一番心に残る出来事だったと述べています。
求道会館は文京区の本郷にあるのですが、今までその存在を全く知りませんでした。
長い間眠っていたその会館を、ご子孫の建築家ご夫妻が時間をかけて修復され、十二年前に蘇らせたそうなのです。
私が建物に踏み入れた時に感じたあの空気は、若かりしの宗教家と建築家の熱い思いと、そしてそれに敬意を抱くご子孫の方々の思いだったような気がします。
階段の手すりが好き、って言ったら、その温かみが少し伝わるでしょうか。
私はその空間で何ができるかしら?
十月十八日。心して取りかからねばなりません。
いよいよ秋のリサイタルに向けて動き出す時がやってきました。
どういう空間で聴いて頂きたいか、そして、自分がどこで演奏をしたいか。あちこち探し歩いたのですが、先日伺った「求道会館」の佇まいに心惹かれ、その場でお願いし、快く承諾して頂きました。
求道会館は、百年程前に近角常観師が、西洋の宗教事情を踏まえつつ仏教界の刷新を目指し、その説法の場として建てた建物です。建築したのは、ヨーロッパ近代建築を取り入れながら古建築修復にも力を入れた、当時の新進気鋭の建築家武田五一氏です。
新しいものにしても古いものにしても、モノに対する人の思いは目に見えるものだと信じている私ですが、この建物に足を踏み入れた時に、それが色濃く見えた気がしました。
近角常観師は、アインシュタインが日本を訪れた際に対談し、仏教の心について触れ、アインシュタインは涙を浮かべてそれを聞いたという話が残っています。
「神とは人間の弱さの表れにすぎない」との書簡も残っている無神論者のアインシュタインですが、仏教に根ざす日本人の慈悲の心に触れられたことが日本での一番心に残る出来事だったと述べています。
求道会館は文京区の本郷にあるのですが、今までその存在を全く知りませんでした。
長い間眠っていたその会館を、ご子孫の建築家ご夫妻が時間をかけて修復され、十二年前に蘇らせたそうなのです。
私が建物に踏み入れた時に感じたあの空気は、若かりしの宗教家と建築家の熱い思いと、そしてそれに敬意を抱くご子孫の方々の思いだったような気がします。
階段の手すりが好き、って言ったら、その温かみが少し伝わるでしょうか。
私はその空間で何ができるかしら?
十月十八日。心して取りかからねばなりません。
2014-05-07
2014年5月7日
めったにお目にかかれないような飴細工が見られるということで、大国魂神社のくらやみ祭りに行ってきました。
神霊は人目に触れてならないというこのお祭のメインイベントは夜に行なわれるのですが、それよりずっと前の真っ昼間にも拘らず、飴細工師の坂入尚文さんの屋台の周りは人で賑わっていました。
かっぱ、ねこ、へび、たこ、ねっしー、ごじら…などと書かれた札が上にかかっています。
その下から、ちょっと怖そうな細長い顔が見えました。無愛想なその雰囲気におそれをなしているのか、親に連れられた子供たちは、親の手をしっかり握りながらも、その手から生みだされるものに釘づけです。
お父さんにせかされて、前の女の子がお父さんの耳元で「ペンギン」と言いました。
飴を作りながら、「ペンギン、何色がいいかい?女の子だから、ピンクかい?」
優しい声です。
モジモジしている女の子に向かってお父さんが「ペンギンなら青だな」と言うと、女の子は一生懸命首を振って、思い切って「ピンク」と口にしました。
缶の中から白い熱い飴を指でつまみ、紅の色を混ぜ合わせてピンクの玉を作って、棒にくっつけます
「熱くないの?」の声に、
「熱いさ。指紋なんてなくなっちまったよ」
皆が息を詰めて見守る中、冷めないうちに、指や鋏をキュッキュッと使って、頭が出来、足が出来…つぶらなおメメを入れて、
「はいよ」
音楽と美術の大きな違いは、時間とともに消えゆくものかどうかだと思っていましたが、飴細工は、体内に入れて消えゆくものとして、音楽に近いのかもしれない…
連れの一人が海老をお願いしました。
「エビかい。面倒だなあ」
目のふちが笑っています。
「今日はエビフライにしちまおうかなあ」「こうやればしまいだよ」
細長くした飴の尾っぽだけをクイッとしています。
そこをなんとか、と頼みこみ。
そこから早業で、足が生え、頭のトゲトゲが出来、口がピョンと割れ、
「はいよ」
坂入さんは「間道」という本を書いていて、そのテキヤとしての人生を綴っています。言葉一つとておろそかにしていないその文章からはその生き様が伝わってきて、居住まいを正されるとともに、その文章から漂ってくる香りに足を崩したくもなります。
自分も音楽とともにどのように生きていくか。いや、音楽とか美術とかそんな分類自体バカバカしいのかな。
一回その場を離れたら、あまりの人混みで自分の飴は作ってもらいに行けませんでした。
一口舐めさせてもらったその飴は、飴から手作りしている混じり気のないもので、遠くからそっとやってくるような甘さでありました。
神霊は人目に触れてならないというこのお祭のメインイベントは夜に行なわれるのですが、それよりずっと前の真っ昼間にも拘らず、飴細工師の坂入尚文さんの屋台の周りは人で賑わっていました。
かっぱ、ねこ、へび、たこ、ねっしー、ごじら…などと書かれた札が上にかかっています。
その下から、ちょっと怖そうな細長い顔が見えました。無愛想なその雰囲気におそれをなしているのか、親に連れられた子供たちは、親の手をしっかり握りながらも、その手から生みだされるものに釘づけです。
お父さんにせかされて、前の女の子がお父さんの耳元で「ペンギン」と言いました。
飴を作りながら、「ペンギン、何色がいいかい?女の子だから、ピンクかい?」
優しい声です。
モジモジしている女の子に向かってお父さんが「ペンギンなら青だな」と言うと、女の子は一生懸命首を振って、思い切って「ピンク」と口にしました。
缶の中から白い熱い飴を指でつまみ、紅の色を混ぜ合わせてピンクの玉を作って、棒にくっつけます
「熱くないの?」の声に、
「熱いさ。指紋なんてなくなっちまったよ」
皆が息を詰めて見守る中、冷めないうちに、指や鋏をキュッキュッと使って、頭が出来、足が出来…つぶらなおメメを入れて、
「はいよ」
音楽と美術の大きな違いは、時間とともに消えゆくものかどうかだと思っていましたが、飴細工は、体内に入れて消えゆくものとして、音楽に近いのかもしれない…
連れの一人が海老をお願いしました。
「エビかい。面倒だなあ」
目のふちが笑っています。
「今日はエビフライにしちまおうかなあ」「こうやればしまいだよ」
細長くした飴の尾っぽだけをクイッとしています。
そこをなんとか、と頼みこみ。
そこから早業で、足が生え、頭のトゲトゲが出来、口がピョンと割れ、
「はいよ」
坂入さんは「間道」という本を書いていて、そのテキヤとしての人生を綴っています。言葉一つとておろそかにしていないその文章からはその生き様が伝わってきて、居住まいを正されるとともに、その文章から漂ってくる香りに足を崩したくもなります。
自分も音楽とともにどのように生きていくか。いや、音楽とか美術とかそんな分類自体バカバカしいのかな。
一回その場を離れたら、あまりの人混みで自分の飴は作ってもらいに行けませんでした。
一口舐めさせてもらったその飴は、飴から手作りしている混じり気のないもので、遠くからそっとやってくるような甘さでありました。