2014-03-12

3月12日

レコーディングが無事に終わりました。
先日書いた「聖なる泉」の他に「胡哦(コガ)」という曲を演奏しました。二十五絃箏の独奏曲です。

「胡」は、昔のモンゴルあたりの広い範囲をいいますが、ここでは西方のカシュガルあたりを特にイメージしているようです。シルクロードの要衝ですね。「哦」は、詩歌を小声で歌うことを意味します。

この「胡哦」には、「聖なる泉」の旋律が使われています。ここでナゼナゼ坊やの私は、作曲者の伊福部先生は、「聖なる泉」の下地である南方の文化と、胡の文化の関係をどうお考えだったのか等々、気になることが山ほど出てきてしまい、あれこれ調べていました。
とは言っても、それより何より問題なのは演奏そのものでした。

どの一音も思ったような音にならない、という根本的な問題を抱えつつも、せめて自分の思うイメージは体現したいと思うのですが、それが何より難しい。
この曲は、歌をゆっくり吟じているところから、アレグロでぐわっと世界が動き始め、空間的な変化と時間の流れの変化が無常観を匂わせるところが大きな魅力です。しかし、それを出すには、いきなりトップギアに入れなければなりません。そして、立ち止まり、囁き、またトップギア。

毎日あらゆる方向から問題解決を試みました。ささいなことでも、それが何らかの影響を受けていることを見逃さないように。鋭敏に、鋭敏に…。
そもそもが鈍な私なので、とてつもなく学ぶことが多く、その量に呆然とする毎日でした。

ところが、どうやっても弾けないところがありました。
手も痺れて、筋がひきつり、これ以上無理すると、レコーディング自体出来ません。
レコーディング前日、ピアニストのグレン・グールドが奥の手で使っていたという方法を以前読んだことを思い出しました。
歯医者の無麻酔治療などでも使うやり方らしいのですが、触覚を切り離すために、集中しないと聞き取れないくらいの音量のものを流し、それを聞きながら演奏するというものです。

テレビをつけました。
あと一日であの震災から丸三年。
亡くなった人に公衆電話から話しかける「風の電話」を追った番組でした。
耳に入ってくる小さな音に、泣きながら箏を弾いていました。

私自身三年前、親兄弟と連絡が取れなくて、いても立ってもいられない時、母からの一通のメール「こなくてよし」でどんなに安心したことか。
様々なことを思い出しながら弾いていました。

三月十一日、レコーディング当日。
奇跡が起こることはなかったのですが、今の自分の限界ではあったようです。
黒のセーターを着てレコーディングをしたのですが、必死で弾いたせいか、終わったら両脇がひどい火傷で真っ赤に腫れ上がっていました。

腰もやられ、脇を上げながらのっしのっしと歩く姿。まるでゴジラだな、と一人で笑ってしまいました。